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世界のはじまりを想像した日のこと

私の読む/書くにまつわる原体験を書いた、『わたしの かくしごと』というコピー本を原価くらいで出したのですが、その一部をこちらでも公開します。

エッセイ的な文体のいい練習になりました。さて、以下で公開するのは、小学校高学年時代のことを扱った文章です。




世界のはじまりを想像した日のこと

「終わるまでは終わらないよ」One More Night (2017)


 学習塾からの帰り道、「世界のはじまり」について考えていた。小学五年生くらいのときのことだ。

 世界のはじまりはビッグバンだと聞いたことがあるけれども、それ以前には何があったんだろう。仮にその現象を起こす原因(当時の私は「神」だと推定していた)があったとすれば、その原因が存在する前にも何かあったはずだが——。この疑問が無限に遡ってしまうことに気づいたとき、さきほどまで親しみを感じていた世界のことが急によそよそしくなった。

 鬱蒼とした木々に囲まれた洋館のような建物を通り過ぎながら、世界が揺れるのを感じた。その揺れは脳で感じたものだったが、足がもつれて倒れそうになった。周辺視野がぼんやりして潰れ、中央分離帯の低木が一層濃くなった。倒れこんでしまわないように一歩、もう一歩足を出して、つま先が縁石にぶつかったとき、やっと何かに触れた感覚が戻った。それまで大地は不定形で、何の感覚的なフィードバックもなかった。

 ビッグバンが始原だとしても、そのビッグバンを起こす原因が始原だとしても、私がすべてだと思っている「この世界」は、存在しないことがありえたのだから、原因が何であるかは些細な問題だった。洋館とか縁石みたいな具体的な事物だけでなく、この世界そのものが偶然性によって成立しているということを心はものすごいスピードで理解していった。この想像が極端であることは自覚していたが、推論の破滅的な帰結を一気に体感して心身に症状が出てしまったのだ。

 その日を境にして、この世のすべてが阿呆らしいものだと思うようになった。

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世界のはじまりを想像した日のこと|谷川嘉浩