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「Gペンパンク大学生」第2回 大山海

2015年、第17回アックスマンガ新人賞佳作入選。本誌誌面で連載中の期待の新人、大山海がお贈りするおかしくも哀しい!? 青春のエッセイ!

第2回 哀しみのパンク

タイトルの『Gペンパンク大学生』についてだが、真ん中のパンクはなんやねんと思った方がおられるなら、それはただ単に自分がシド・ヴィシャスに憧れてるからだ。僕はパンクなのだ。

シド・ヴィシャスは単純にカッコいいし、実はまじめで繊細そうなところもいい。パンクをやりきって死んだところも魅力的だ。これがただの粗暴な阿呆だったら、たぶん好きになっていなかった。

僕はそろそろ大学三年になる。一年生のときはそれこそ心の中はパンク(のつもり)だった。服装は全身真っ黒で大学に通っていた。革ジャンのイメージである。でもそれ自体は着なかった。「入学していきなり革ジャンはちょっと飛ばしすぎか」と、正直、日和っていたのもある。

とにかく冬は黒のセーターに黒のズボン、夏は黒のシャツで通していた。周りに「なんでいつも黒なの?」と聞かれれば、「それはな、何色にも染まらへん色やからや」とカッコをつけて答えていた。あの頃の自分にメッセージを送れるなら「馬鹿野郎」の四文字を送りたい。尾崎豊やエレカシの宮本のような、本物のロックンローラーで、なおかつイケメンなら、全身黒でも問題なかろう。しかし僕レベルの微妙な(ブサイクとまでは言わないが)顔面の持ち主が、真っ黒で歩いてきたら、それはただの陰気な奴である。

実際、友達はなかなか出来なかった。奈良県出身で、粗い関西弁を使うのも、馴染みづらい要因だったかもしれない。

俺はもう漫画家デビューしとんねんぞ、凄いやろ。というやな感じが出ていて、それも要因だったろう。上京したてで血気盛んで、東京がなんぼのもんやねんという気持ちもあった。あと、あれや、尖った感じも演出したかったわ。友達もろくにできなくて仕方なかったと思う。外見も中身もダサい奴だったのだ。田舎者なのだ、許してください。

そういえば、東京といえば地方出身者の集まりというイメージで、高度成長期には毎年三十万人以上が上京したらしい。僕自身も、平成八年生まれのくせして、その世代の名曲、吉田拓郎の『制服』とか、長渕剛の『とんぼ』自分の漫画のタイトルを考えるときにちょっとパクッた『東京青春朝焼物語』などを聞いて新幹線の車窓を眺めたもんだ。が、今やそれは全然ナウくないという。

というのも、フォーク世代の人々が東京に根付いて、その子供たちが東京で暮らしているからだ。地方の人々もネットが発展した今日、わざわざ東京に行かなくても便利に暮らせるし、東京にはもはや買える土地はないしで、僕のような上京組が減っていることになる。

確かに高校卒業後、自分の学年から上京したのは僕一人だけだった。わざわざ東京の大学行かなくても、大阪にも京都にも大学はいくらでもある。

漫画家になりたくて出版社のある東京にいくことにしたのだが、やはり地方の人のほうが少ない。大学のパンフレットに記載されていたグラフをみても学生の半数以上は東京圏の人だった。

ここでどんな問題が発生するかということである。

まず圧倒的にダサさが際立つ。僕の全身真っ黒もそうだが、想像のお洒落な東京のイメージで服を揃えて門をくぐれば初日から赤っ恥をかくことになる。

第一回でも書いた同級のKは(コイツぐらいしか友達がいない)北海道の奥のほうの村出身で、やはりダサかった。髪の毛の一部を金色に染め、フロリダ州の人が持ってそうな派手なサングラスを掛けていた。さらに、初日から教授にガヤを飛ばし、理由は不明だが健康診断にスーツを着てくるなど、僕以上に大学デビューをかましていたのである。

一方、東京育ちの実家から通う大学生は、まず雰囲気が違う。無用な派手さが無いというか、なんというかシュっとしているのだ。一人暮らしに比べお金に余裕があるから、服装にも気をつかえるというのもあるだろう。スマートで、あまりガツガツしていない印象がある。

一転、何年も、山の麓の陰鬱な町で暮らしてきた僕にとって、東京は新天地であり、花の都である。ここに来れば何かが変わるんや! という幻想を持っている。

普段は埼玉の所沢あたりが拠点だが、アックス関係で新宿に来たときなど毎回、おお、でけえ。と思ってしまう。「新宿のビル群が、俺を高みから見下しとるわ」とか「このすれ違う多くの見知らぬ人々が、皆、何者でもない時代を過ごしているのか」などと、わけの分からんポエジーなことを考えてしまう。

ずっと東京で過ごしてきた人にとっては、いちいちそんなことで感嘆してはいられないが、自分はいまだに、くるりの『東京』を聞きながら肩で風を切るように都会を闊歩したりする。これはもう身にしみ込んだダサさやなあと思う。(もちろんくるりの曲はめちゃくちゃカッコいい)

せめて服装だけでも変えようと、今年の冬に帰省した際、母親と服を買いに行った。ナウい服が欲しいので、大阪難波の若者の街、アメ村に行ったのだが、流石、チャラそうな服屋ばかりだった。自分はそのとき、もっさいごわごわのジャンパーに、ジョン・レノンに憧れて買った銀縁のメガネをかけていた。購入したときは、流行を逆行してるな、相当渋いな、と自画自賛していたが、周りからは不評の嵐で、父親からは「大島渚も同じやつかけてたぞ」と報告を受ける始末だった。

そんな服装で、適当な店に入ると早速、エグザイル系の気さくな店員に「コーディネートしましょか?」と言われた。普段なら断るのだがここは任せることにした。選ばれたのが赤いシャツに黒のMA-1のジャケット、そしてなかなかにボロいダメージジーンズで、試着室から出ると、店員に「おおー三代目みたいっすよ」と褒められた。大島渚のメガネに、ダメージジーンズのいでたちは、三代目どころかただの珍妙な奴だったが、母親も「ええやないの」と褒めるのでそれを買うことにした。

結局、その格好の東京での馴染まなさ加減は、東京駅を降りてすぐに露呈するのだが、いまさらカッコをつけたい気持ちも薄れてきて、近所のゲオぐらいならこれで行ける。

東京生まれのお金持ち大学生は、服をどこで買うのだろうか。ちなみにこの二年間、東京で服を買ったのはユニクロで一回だけしかない。服は結構お金がかかる。

ところで僕が通っているのは芸術大学で、機材費等を別にしても、一般的な大学より学費がかかる。学生の半数以上はおおよそ中層から富裕層の人が多い。

一方、僕も同級のKもそれなりに困窮しているので、奨学金を借りている。

この奨学金、ただの借金である。四百万円借りている。花の大学生活もなかば、この頃になると妙に現実的にモノを考えるようになってきた。あんなに「俺はロックで成功するぜ」と声を荒げていたKも、最近は「奨学金が無かったらよ、俺もまだロックやりたいけどよ」と弱音を吐くようになってきた。地元に帰って職に就いて……とかなり現実的に考えているようだ。実際、彼には帰る地元があるからまだマシかも知れない。

僕は色々あって、地元に繫がりがなく、実家は賃貸マンションで土地もない。妹も大学受験を控えている。さらに単位も落としすぎた。留年して五年になる。そして四百万の借金だ。そんな状態だが就職はしないと決めている。おおよそ一般受けしなさそうな作風の漫画だけが取り柄である。もうめちゃくちゃである。でもまあしゃあないわ。俺パンクやし、今を生きるっす。

イラスト/大山海

(つづく)


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