「違う」ということ。

ここ数年で、自分はいわゆる「普通」に恋愛をしたりできないかもしれない、ということに気が付いた。

愛情は生まれるし「好き」という感情はあるけれど、たとえ好きな相手であっても性的な目を向けられることが耐えられない。
「普通」のカップルは 付き合う=セックスをする から、そういうことができない私は「普通」ではないのだと思う。

私はしたくないという意思を伝えても、大体本当の抵抗とは受け取られないし、「やってみたら案外大丈夫だよ」と押し切られそうになる。
「それは本当の恋に出会ってないだけ」なんて言われることもある。

きっとそこに悪気はなくて、単純にその人たちの常識として「みんなするもの」だから、私の考え方が分からないだけだと思う。

反対に、私はセックスをしたいと思う人のことが分からない。自分の中に無い感情だから。

一概に全てそうとは言えないけど、お互いの愛を確かめ合う・感じあう素敵な行為であることには間違いない、ということは一応分かってはいる。

でも、恋愛漫画や恋愛ドラマ、目に入ったあらゆるものを「自分と違う」と思うだけで敵視してしまうようになった。
自分がそれに当てはまらないということを感じるたびに、自分はダメな人間なんだと勝手に傷ついていた。

ただ、沢山そういう経験を積み重ねていくうちに、特にきっかけがあったわけではないけれど、自分が「普通」と異なることに対して何も感じなくなっていた。

ある種のあきらめであったのかもしれないけど、少しは生きやすくなったから悪くはないと思う。

私は少なくとも少数派の人間ではあるけれど、世の中にはいろんな人間がいて、多い少ない関係なく、考え方の違う人間がいるという事実だけでしかない、と考えるようになった。

人に迷惑をかけないのであれば、みんな自分の思うように生きればいい。

ただ、今の日本では生きにくさがあるのもまた、事実ではある。
でもそれで自分を「被害者」だったり「良くない人間」のように思ってしまうと、さらに自分で自分を苦しめてしまうと思う。
自分と違う人に対して、マジョリティであれマイノリティであれ、「違うんだな!以上!」くらいの気持ちでいいんじゃないかと思う。

違うから良い、悪いではなくて、違うということを認識する。だけでいいんだと思う。

自分はそう信じていても「彼氏がいないなんてかわいそう!」は言う必要はないし、「セックスするなんて信じられない!」も言う必要はない。

セックスしたい人、したくない人。パートナーが欲しい人、一人でいたい人。
これはほんの一部で、もっと沢山あると思う。

みんなそれぞれ、「そっか~!」くらいでいいんじゃないかなぁ。
別に絶対に分かり合う必要はないし、否定する必要もない。

自分に対しても、相手に対しても、
「違うな!そっか!以上!」のマインドで。
お互いに傷つけ合わずに生きていけたらいいね。


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