「感染症パニック」を防げ!リスク・コミュニケーション入門(岩田健太郎氏)を読んで
「感染症パニック」とはなんだろう
映画「アウトブレイク」(1995)にこんなシーンがありました。非常に強い感染力をもつウイルス感染症が人口2600人程の小さな町シーダー・クリークで発生します。原因はアフリカから密輸された猿が持っていたウイルスでしたが、これに感染した人が次々と死んでいきます。感染が広がるのを防ぐために軍が町を封鎖したところ、パニックを起こした群衆が素手(!)で銃火器フル装備の軍人や装甲車に襲いかかります。住人の中には封鎖をマイカーで突破し、さらには猟銃で軍のヘリコプターと戦おうとする人も。
われ先にと悲鳴をあげながら逃げたり、店を襲う暴徒と化している群衆、これが「パニック」になった人々のイメージです。この映画に描かれた町の市民の様子が「感染症パニック」なのでしょうか。この映画をはじめ、パニックに陥る暴徒が描かれるドラマを見ると、やはりパニックは防がないといけない、みたいな気持ちになります。そこで岩田健太郎さんの著書「感染症パニックを防げ」!という本を読んでみました。
副題が「リスク・コミュニケーション入門」とあるように、この本の第1章は「リスク・コミュニケーション」についての記述に割かれています。この部分では「パニック」についての記述はほとんどありません。後半の第2章では「感染症におけるリスク・コミュニケーション<実践編>」と題し、6つの感染症(エボラ出血熱、西ナイル熱、炭疽菌テロ、SARS、新型インフルエンザ、デング熱)のケースを取り上げ、筆者の体験が述べられています。もしこれらの感染症が原因で「感染症パニック」が起きたなら、その様子が述べられているはずです。そこでこの部分を読んでみます。
エボラ出血熱
この部分では、エボラ出血熱で起きたパニックの記述はありませんでした。
1999年の西ナイル熱
とあります。「パニックを増幅させた」とあるので、増幅前のパニックについて何か書いてあるかと思いましたが、それはどこにも書いてありません。
2001年のバイオテロ(炭疽菌)
とありますが、実はこれはバイオテロではなくニューヨークのワールドトレードセンターに航空機が突っ込んだ911同時多発テロの時の様子です。しかもパニックになっているのは市民ではなく筆者の病院の医者たちです。そこで、同時期に起きた炭疽菌のバイオテロについての記述を見ると
というパニックの記述があります。確かに「ドーナツの白い粉」にまで恐怖を感じるのは普通の状態ではないです。しかし制御不能の群衆が襲ってくるというパニックのイメージからはほど遠く、「ドーナツの白い粉」に驚く人はむしろ笑い話レベルに見えます。これと「電話がジャンジャンやってくる」「病院の検査技師が忙しくなった」ことくらいが、このケースでの「感染症パニック」のようです。
2003年のSARS
2009年の新型インフルエンザ
とあります。これは市民が不要不急の外出を自粛しているということで、群衆が襲ってくるパニックとは正反対の現象ではないでしょうか。ただし、2003年のSARSの時には、自分たちが住む街が隔離されたことに憤った市民が暴動を起こした事件はあったようです。
2014年のデング熱
デング熱でどんなパニックが起きたのか、その様子の記述はありません。
「感染症パニック」としてどんなパニックが起きたのか、を知りたかったのですが残念ながらこの本にはほとんど記述がありませんでした。パニック映画のように市民がパニックに陥って制御不能になったという事件は、2003年のSARS以外では起きなかったのではないでしょうか。岩田さんが恐れる「感染症パニック」とは、どうも「検査依頼が殺到して病院がパニックになる」ことを意味しているようにも思えます。
リスク・コミュニケーションとは
順序が逆になりましたが、この本の副題にあるリスク・コミュニケーションに関する記述を読んでみます。まず「はじめに」では岩田さんが見たリスク・コミュニケーションの定義について述べられます。
つまりリスク・コミュニケーションとは、相互にやりとりを続けていく過程であるという定義です。この定義に対して筆者はこのように感じたそうです。
確かに定義の言葉遣いは堅苦しいです。わかりにくいということがコミュニケーションの障害になるのは確かでしょう。 しかし少なくとも先のスライドの定義では、リスク・コミュニケーションとは「相互作用」ではなく「過程」であり、岩田さんの理解とは食い違っています。つまりお互いにやり取りすることだけではなく、そのやりとりがどのように行われたのか、を表す言葉がリスク・コミュニケーションのようです。ともあれ大事なのは、誰かが誰かを説得するということだけをリスク・コミュニケーションと呼ぶのではない、ことでしょう。まだ「はじめに」の部分だけですが、単に「わかりにくい」という理由で言葉を省略してしまう、という態度で大丈夫なのだろうか、とも思います。
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