見出し画像

「ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち」(ジョン・ロンソン 夏目大 訳)を読んで

SNSなどで不用意な発言をしたことから、いわゆる炎上するケースが後を絶ちません。タイトルから、この本はそのような炎上ケースを集めたものかと思いました。しかし読んでみるとこの本はそのような単純な内容ではなく、「なぜ炎上が起こるのか」「そもそも炎上するとはどういうことか」「炎上を収めるにはどうしたら良いのか」など、ネット炎上の本質を深く考察したものでした。2021年7月に起きたミュージシャン小山田圭吾さんに関する炎上事件に興味がある人なら読んでおいて損はない本だと思いましたので紹介します。

著者のジョン・ロンソン氏はイギリスのコラムニスト、TVドキュメンタリー作家です。第1章では著者ロンソン氏の名前を騙るツイッターボットが、氏に断わりなく作られてしまった事件が紹介されます。ロンソン氏はボット作成者に抗議し、その様子を動画にしてネットに公開します。その動画を見た多くのネットユーザーを味方にし、ボットを削除させることにロンソン氏は成功します。この体験を氏はこのように表現しています。

私は勝利の喜びに浸っていた。何とも言えず良い気分だった。鎮静剤を飲んだ時のように、それまでのいらだちが消えていった。世界中の見ず知らずの人たちが、こぞって私が正しいと行ってくれたのだ。これ以上はない完璧な結末だった。

結果的に著者は「炎上」を利用して自分の目的を達したわけで、この体験から「炎上」をこのように好意的に評価します。

人間の持つ「恥」という感情はうまく利用すれば、大きな力になり得る。これは国境を越えて、世界中で通用する力になり始めている。しかも、その影響力は次第に強くなっていて、影響が及ぶ速度も増している。従来にはあった階層というものがなくなり、社会が「フラット」になりつつある。そして、以前なら沈黙せざるを得なかった人たちが声を持つようになった。「正義の民主化」と言うべきことが起きている。

ここで著者は「恥」という言葉を使っています。この本の原題は "So You've been Publicly Shamed" = 「だから君は公開羞恥刑に遭った(訳:夏目大氏)」というものでした。著者はこの後の章で、ネット炎上(ネットリンチ)の標的になった人に次々とインタビューすることになります。その上でネット炎上(ネットリンチ)が起きた理由を考察していきますが、その過程で著者はネット炎上(ネットリンチ)は「公開羞恥刑」であると理解します。

19世紀までにアメリカでは、あまりに残酷であるなどという理由で廃れていたむち打ちなどによる「公開羞恥刑」ですが、SNSの登場により、違った形で「公開羞恥刑」が復活していると著者は言います。ツイッターは法律によらない私的裁判の場になっていると指摘し、このように述べます。

ツイッター上での攻撃は、遠隔操作のドローンによる攻撃に似ているのでは、とも思う。攻撃されている側の状況を直接、目にすることがないために、自分がどれだけ残酷なことをしているか実感がないのである。雪の粒が集まってやがて雪崩になっても、雪の一粒一粒が責任を感じることはない。それに似ている。

第2章以降は、いくつかのネットリンチ事件を取り上げ、その標的になった人にインタビューを試みています。ネットリンチ対象者は強いショックを受け、打ちひしがれている人がほとんどです。例えば南アフリカへのフライト直前に、エイズに関する悪い冗談をツイートしたジャスティン・サッコも含まれています。この事件では著者はリアルタイムで炎上を目撃しており、その様子はこのようなものでした。

私のタイムラインにも大量にリツイートが流れてきた。他のすべてのツイートを圧倒する量だった。はじめは「あ、誰か何かばかなことを言って非難されているな」と思って、少し面白がっていた私から、すぐに面白がる気持ちは消えた。彼女を吊るし上げている人たちが一種の「集団発狂」のような状態に陥っているなと感じたからだ。

サッコ氏の炎上事件は私が受け持った学生達もたびたび引用するもので、そのツイートは以下のようなものでした。

アフリカに向かう。エイズにならないことを願う。冗談です。言ってみただけ。なるわけない。私、白人だから!

このツイートに関する著者の見解は以下のようなものです。

サッコのツイートは、そう出来の良いジョークではないし、褒められたものではないが、人種差別的なものでないことは明らかだ。有色人種を貶める意図はない。自分でも気がつかないうちに特権意識を持ちがちな白人を笑う自虐的なコメントだろう。そんなはずはないと頭でわかっていても、つい白人であるというだけでエイズのような危険と無縁だと感じがちな自分たちを笑っているのだ。そうではないだろうか。

サッコ氏の釈明もこの見解を裏付けます。

「あれは、現状の矛盾を揶揄するジョークでした」サッコのメールにはそう書いてあった。「アパルトヘイト後も続く南アフリカの過酷な状況を揶揄したジョークでもあります。それはアメリカ人が日頃、あまり関心を向けないことです。誰もがかかり得る病気なのにもかかわらず、黒人の患者が極端に多いことに、いささか不穏当な言葉で言及したのです。残念ながら、私はアニメーション『サウスパーク』の登場人物でもなければ、コメディアンでもありませんでした。私の立場でエイズのような問題に公の場で、『政治的に不適切な』表現で触れるべきではなかったのでしょう。第一、これでエイズについての社会の関心を高めようなどという意図もなかったわけですし。世界への怒りをぶちまけようという気持ちもありませんでした。自分を破滅の危険にさらしてまで言いたい事などなかったのです。アメリカに住んでいると、第三世界の悲惨な現状とはある程度無縁でいられます。多くの人がさほどの不安もなく安全に日々を送れるのです。安全な泡の中で生活しているようなものです。私には、そんな泡の中のアメリカ人を揶揄する気持ちもあったと思います。」

この事件を紹介する学生達は、このツイートを単純に「人種差別・ヘイトスピーチ」として捉えています。著者の見解やサッコ氏の釈明に触れているものは見たことがありません。一度炎上してしまったら、その評価を覆すことは大変に困難であると感じさせられます。

さて、著者はネット炎上の当事者たちにインタビューを続けるうちに、炎上させている側の問題に目を向けることになります。まず19世紀フランスの心理学者ギュスターヴ・ル・ボンの言う「群衆心理」による集団発狂という概念に注目します。群衆心理とは、人間は群衆の中にいると自分自身の行動を全く制御できない状態に至ることがある、ということを説明するものです。ル・ボンによると、個人の自由意思は群衆の中では消滅することがあり得るとしました。そしてサッコ氏のケースではこのように考えます。

この考えからすれば、ツイッターで、ジャスティン・サッコが一斉に攻撃された時も、攻撃していた人々が群衆心理に駆られ、自らを制御できない状態にあったと言うことになる。

1970年代にスタンフォード大学のジンバルドー氏が行った心理学実験もこの「群衆心理」を裏付けるものだと思われました。「スタンフォード監獄実験」と呼ばれるこの実験ですが、後に被験者であるデイブ・エシャルマン氏が「実験者の意に沿うような結果が出るように、乱暴な態度を演技していた」と告白します。同じく群衆心理を研究するクイーンズランド大学のアレックス・ハスラム教授は著者に当てたメールでこのように指摘します。

ハスラムはこう書いていた。「本当に興味深いのは、彼が『自分では良いことをしているつもりだった』と言っていることです。『良いことをしている』という言い方が注目に値します」

この指摘を受けて、著者はこのように考えます。

確かにそうだ。「良いことをしている」というのは、ル・ボンやジンバルドーが唱えて説とはある意味で対立する。彼らは、酷い環境に置かれれば、人間は「邪悪」になると言っているからだ。
ジャスティン・サッコに対して攻撃を加えた10万人もの人々は、悪い病原菌に感染して邪悪になっていたわけではないのではないか。

また同じくこの実験の真相を知ったセント・アンドルーズ大学のスティーブ・ライカー教授は以下のように述べています。

どれほど暴力的な群衆であっても、ただ無秩序に暴れるわけではありません。必ずパターンがあります。そのパターンには、何と言うか、大きな『信念体系』のようなものが反映されます。不思議なのは、リーダーがどこにもいなくても、群衆が自らある程度、知性的に、集団の構成員の普段の思想に沿って行動できるということです。感情が人から人へ伝染して狂った行動を取っているのではありません。

著者はこの実験結果を受け、このように考えました。

デイブ・エシャルマンもそうだったのだと思うが、私にも良いことをしたい、誰かの役に立ちたいという気持ちはあり、それが行動の強い動機になることがある。そういう動機による行動は、集団発狂とは違うし、集団発狂に比べれば良いものなのは間違いない。だが、私も含め、多くの人たちの良いと思った行動が、大きな犠牲を生んでしまっている。
私も何人もの人を攻撃してきた。もう一人ひとりのことはよく思い出せないくらい大勢を攻撃した。その攻撃の背後には、何か暗く君の悪いものが隠れているのではないか、と思うようになった。本当は直視したくない。考えたくないような嫌なものだ。でも、今、それについて考えてみなくては、と強く感じている。

ここまでは本書の第6章あたりまでの話です。これ以降、いくつかのネット炎上事件について、著者は当事者にインタビューを行っています。その中には、炎上はしたものの、ほぼ無傷で社会復帰ができた人物もいます。また、ネット上からは炎上の痕跡をほぼ消し去ったケースも紹介されています。このあたりの話は実際に本書を読んでいただくとして、ここで詳しくは述べないことにします(大変面白いのでぜひ読んでください。)これらのケースを踏まえて、SNSの持つ問題点の一つとして「フィードバック」の効果に著者は注目します。

最初に何人かが「ジャスティン・サッコは悪人だ」と意見を述べた。その何人かに対して即座に称賛の声があがった。かのローザ・パークス(訳注:バスに白人席と黒人席があった時代に、運転手に注意されても白人に席を譲らなかった黒人女性)のように、差別に敢然と立ち向かった人として扱われたのだ。すぐに「称賛」というフィードバックがあったことで、称賛された側はそのままの行動を継続する決断を下した。

SNS上でネットリンチを行う人たちの心理は「自分は善いことをしている」「正義のために悪人を攻撃する」ということなのでしょう。文明国では廃れてしまったはずの残酷な公開羞恥刑が現代に復活し、時には国境を越えて私的な処刑が執行されてしまう。そんな事件を目の当たりにして、本書はネット社会を考える上で必読の書と考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?