表現の理由

表現の自由は大事だが、その前に表現をする理由は何かって話だ。誰かを喜ばせたいのか、自分の葛藤を吐き出したいのか、面白いアイデアが溢れ出すからなのか、それとも脳内にいる人たちのお喋りが終わらないからなのか、それとも特定個人に思いを伝えたいからなのか。

自分がどうしてその行動を取るのかを知っておくのは自分を見つめ直すきっかけになるのだろう。惰性的な毎日を切り取れるかもしれない。必要な部分だけを増強できるかもしれない。何より自分が何を大切に思っているか知ることができるかもしれない。

いわゆる創作というのは直接的に誰かの生活を支える訳ではない。面白い漫画を読んでも腹が膨れる訳ではなく、恋愛ドラマを見ても収入が上がる訳でもない。それでも子供から大人までそんな創作に夢中になる。ただ生き延びるだけならば不要である。それともただ生きて死ぬだけでは物足りないと思うからこそ、エンターテインメントを求めるのだろう。

だから、創作においては誰かの役に立つかどうかを深く考える必要はない。心の中から溢れる出る何かがあればいいのである。むしろなくても構わない。退屈だからという理由でもいいのだ。何もないから何かしたいという理由でも十分な理由である。そもそも人類が存在しなければいけない理由なんてなくても、人は生まれて育っていく。そして立派に育てた都市や文化を守っていこうと考える。

始まりに大した理由がなくとも大した問題ではない。育ち、まとまり、形になれば理由はいくらでも出てくるだろう。雪だるまのように膨らむのが理由であり創作だ。

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