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「旅行」が早く終われと思った日

バーのカウンターで旅の記録をつけていると、背が高く青い目をした男性が私に話しかけてきた。

なんでこんなところで勉強しているの?

彼からすると日本語のガイドブックを片手に、ノートに漢字を書きつけるなんて行為は勉強以外の何物にも見えなかったのだろうか。それとも話しかけるためのジョークだったのか。

何はともあれ「ただの旅行です。日本から来ました」と返すと、彼は満面の笑みで「ちょうど今、日本の大学院で働きながら修士号を取りたい思っていたところだったんだ。でも日本の大学のシステムはよくわからなくて困ってる」と私に言う。日本の大学が9月ではなく4月から始まること、修士の学生で相当額の給与をもらっている人は少ないこと。そんなことを私たちは話し始めた。

どうやらこのバーには彼の友人が4・5人はいる。聞けば、彼らも皆ロシア人で学生時代からの友人であったり、職場の同僚であったりするらしい。そのため、てっきりグループ旅行かと思った私は「あなたたちも旅行ですか?」尋ねてみた。

It' like a trip but not like a trip

もし日本語に訳すなら「旅行と言えば旅行みたいなもんだけど、そうでもないと言えばそうでもない」といったところか。翻訳に悩むほどに、歯切れの悪い返事が返ってきたのである。

その後も、彼はよほど日本に来たいのか「日本では最近どんな映画が流行ったんだい?あ、アニメ以外で」「東京では収入格差や社会的なヒエラルキーがとても大きいとは本当か?」と立て続けに質問してくる。私なりに答えてはみるものの、あまり映画を見る習慣がなく、なんなら香川の田舎で暮らしている私が的確な答えを出せたとは思えない。それでもとりあえず『万引き家族』はその両方の質問に対応するのではないかと伝えておいた。

さて、この日の時点で彼はカザフスタンのアルマトイに来て、9ヶ月が経ったという。カザフスタンは旧ソ連系国家ということもあり、ロシア語が公用語の国だから生活には困らないらしい。そういえば、ウクライナ戦争から逃れようとするロシア人がカザフスタンに流入している、とテレビのニュースが言っていた。

私が最初「旅行ですか?」と尋ね、歯切れの悪い返事が返ってきたとき、実は彼は続けてこう言っていた。

My town is near the border between Russia and Ucraine so I can’t be there.
(私の暮らす街はロシアとウクライナの国境近くだから、そこには居られないんだ)

酒と時間を共有する中で、彼は時折自分の街がどのような場所か伝えようとしてくれた。だがしかし、いかなるときも長くは話そうとしなかった。それはいつしかやはり戦争の話になってしまうからである。そのせいか、彼は矢継ぎ早やに「こんな暗い話より、アニメ以外で日本では最近どんな映画が流行ったんだい?」と続けたのだ。

彼が兵役を逃れようとしたのか、それともいわば戦禍に備える一種の疎開状態にあるのか。私自身、尋ねてはみたかった。ただ彼が何度も自分の国の話を途中で切り上げようとする姿に、これを質問をする勇気は出なかった。

日本にいると大悪なるロシアと悲劇のウクライナと言った構図でばかり情報が入ってくる。もちろん一義的には一方的に武力侵攻を始めたロシアに非があるのは確かだ。一方で、ロシア側にも戦争によって害を被る人がいる。そんなことを私は忘れていた。庶民にとっては、両国共に、戦争など単なる不利益以外の何物でもないのだろうと彼の姿から思えてきた。

彼はなぜあの時、tripすなわち旅行という言葉を選んだのだろう。私が彼と同じ状況なら「戦争で一時的にアルマトイに避難している」と言ってしまうかもしれない。もちろん彼が旅行という言葉を選んだのはのは、娯楽としての旅行を謳歌する私に対する配慮だったような気もする。
ただ一方でもしかすると、旅行とでも思わないとやってられないという意味かもしれないし、逆にきっと故郷に帰れると願っているからこそtripと言ったのかもしれない。

旅行にはいつか終わりが来る。私はそれをいつもどこか悲観的に考えていた。ただ今日ばかりはその「旅行」がいち早く終わることを願わずにはいられない。

カザフスタン・アルマトイにて。筆者の左隣が今回の「彼」です。

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2/23から中央アジア4カ国(カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン)を旅しています。

すでに書きたいことはいっぱいありますが、頭がまとまらないのと、イスラム圏にも関わらずしっかりお酒が売っているので、筆が進まず、、、(笑)

滞在中も、帰国後も記事を書いていくのでよければ見てみてください。今回は少しセンシティブな内容でしたが、シンプルな旅行記や食事の写真なども投稿できればと思っています。

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