自分ができることをやるしかない

国が、緊急事態宣言を延長しようとしている。9月入学も検討している。

9月入学については、自分は正直疎い。グローバルスタンダードなんだろうけれど、どこか遠い世界の話になってしまう。

この先どうなるかわからない。

皆そうなのだ。先の見えない状況の中でもがいて、答えを出そうとして、失敗したり、あるいは少し成功したり、そういう中で少しずつ前に進んでいる。

上に立つ人間、引っ張る人間だから有能な判断ができるかというとそうではない。なぜなら、誰も正しい方略など持っていないのだから。

いろいろなところで、意思決定する者への批判が絶えない。休校を延長すれば「学びの保障はどうしてくれる」と叩かれ、かといって学校を再開すれば「感染を広げる気か」と叩かれる。必要なのは、自分の人生を動かしているのは自分自身だという意識だ。学びの保障が心配なら、そういう方策を学校外に生み出せばいい。学校再開が心配なら、登校しなければいい。我々には当事者意識が圧倒的に足りていない。

職員室でもそういう事態が起きているところもあるだろう。「校長が決めないから~」というのはもう聞き飽きた。決められるわけがないのだ。「部活動はどうするの?」「行事はどうするの?」と質問したところで、誰も正しく答えてくれるはずはないのだ。


ということが平気で書けるのは、自分や周囲が健康的・経済的に何も困っていないからかもしれない。極限まで追い込まれ、国や自治体の政策に願いをかけるしかない人もたくさんいることは十分承知している。

が、あくまでも教員の立場に限定して、自分も含め、ある程度余裕をもって物事を考えることができる人に言えることは、

今自分ができることを、そして自分が良いと思ったことを、賛同してくれる仲間とともに、やるしかない

ということだと思っている。


学校再開をどうするか、9月入学問題をどうするか、などについては、自分が何とかできるレベルではない。意見を言うことすらもはばかられる。そこはどうなっても適応しようと思っている。

ここを批判しても無駄だ。

しかし、休校中に子ども(同士)の学びをどう支えるか、仮に学校が再開したとして三密を避けていかに授業や学級経営を進めるかについては、自分ができることは無限にある。

公立学校では、オンライン教育への動きが鈍く、私のところも例外ではない。

しかし、教員が入らなくても、生徒にZOOMの使い方を教え、学び合う仕組みを子ども主体で作ることは不可能ではない。

そして、生徒会役員とか、学級委員とか、2割のトップランナーの力を借りれば教師のいないところで広まる可能性もある。

誰もやっていないだけで、やろうと思えばできそうなことはあるのだ。


職場でこんな話をすると、幸いにも何人かは耳を傾けてくれるし、そこから深い話し合いになる機会もある。だから、実現したいものだ。


問題は、自分自身に実行する勇気があるかどうかだ。

そこだけは、自分の問題だ。


その場その場で、できることを精いっぱいやり切ろうと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?