真面目とはなにか。
前の投稿で、いかにも真面目であることや他人の為に何かをすることを否定しているようなことを書いたが、少し違う。
前の投稿での文脈における“真面目“や“他人の為に“というのは、今思うそれらとは違うもので、今思うそれらはやはり良き事であると思っている。
前の投稿での“真面目“というのは、“他人に都合の良い“とか“社会的模範“というような意味合いを含んでいる。
まさに今までの僕の目指していた人間像だ。
しかし、それを目指していては完全に自分を殺すことになるというのは前述の通り。
ここでは、自分の人生を自分の足で歩く感覚をやっと知った今思う真面目とは何かについて話す。
真面目とは姿勢。
「自分の中で決めた事に対して妥協せず、その為にはどんな努力も惜しまず、困難にも立ち向かう」という姿勢こそが真面目なんだと思う。
今までの真面目と全く違う点は、そこに他人が存在しないということ。
「物理が好きで、いつか世界を変えてしまうほどの発明をしてみたい。そのために毎日勉強してる。」
「勉強サボるのは良くないし、良い大学行ったほうがいいに決まってるし、毎日勉強してる。」
前者は真面目、後者は真面目とはいえない。
不真面目かと言われたら迷うところではあるが、真面目だとは思わない。
不真面目とはいえない。まさにそれこそが罠。
他人の為、とかそれが正しいと(世間的に)言われているから。といわれてしまっては攻撃できない。隙がない。
だからこそ、それが正義だと思ってしまう。
それで気づかぬうちに自分を殺してしまう。
あの時、授業聞かずに絵ばっかり描いてたアイツ。部活第一で授業中寝てばかりだったアイツ。
バカで不真面目に見えてたアイツら。
実は全員俺より真面目だったんだなあ。
ダサいのは自分の方だったなあとめちゃめちゃ気付かされる。
絵を描いてたアイツは今、デザインの仕事をしてる。
部活ばっかのアイツは今年、プロのサッカーチームに行った。プロサッカー選手ってやつ。
それにくらべて僕はなんだ。
なんてつまらない人生。
“正しさ“の罠にハマった結果だと今なら分かる。
そんでもって今は何が本当の真面目なのかに気づいている。
まだまだ人生長い。
今からでも真面目にやり直してみようかな。
誰かの為にっていうのはその後できっと付いてくる。
初めから他人に人生を預けるのではなく、自分の人生に他人を巻き込んで、一緒に歩んでいけばいい。
順番が違ったんだな。
自分の心に正直に、真面目に生きる。
その先で何か他人の人生にプラスの影響を与えられたらいいな。
と今は思っている。
真面目はかっこいい。
他人の為になるのはすごい。
今、心からこの言葉に納得する。