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ビッグな訃報あり。しかし取り立てるほどのこともない、すごくすごく寒い日。

七時起床。というか休みの日の習いでこたつ寝で。夫婦ともに一つのコタツで猫も入って。同衾、という古い言葉がまったく違う意味で浮かぶ。

どれくらい寝たのか。よくわからない。いつもどおり、眠気なく便意もすぐ訪れたから自分的には問題ない。連れ合いもいつもの様子。二人で朝焼けもいつも通りだ美しいと観る。昨日から全国的に冷え込んで、私達のところもひどく寒い。氷点下スレスレだったのでは。。では、というのはいつもの、チェック、気温とか天気の具合を予報で見なかったから。それだけ昨晩から動画や執筆の作業に、集中していた。

世間的に「何をやってるか不明」な夫婦ならではの、このところとは、面白くも際どいネタ、コロナとかマスクとかワクチンとか、さらにはフラットアースとその向こうにいるとされる支配層という輩たちに、互いの思いを通じ合わせ、話を咲かせている。意識がアクティブになっていることを、実感する状況でもある。まあ、病気という範疇で言えば躁鬱の躁が続いているということになる。が、もはや問題にしていない。ふたりとも。

日記だからこそ、向かっている時間や環境に依存する文章で、だから毎朝まっさきに向かうところなのだが、、ここまで追った通り、アクティブになっている意識のお陰でこれを午後三時半に記している。近所の猫、早朝の寒さのなかいつも通り庭を横切っていった。それを思い出し、庭で久々の草いじりをした。枯れてなお元気な茅の類、ススキの茶色くなりながらすくっと立つさま。葉の落ちて裸になった名前の知らない木、これはわかるアカメガシワにはやくも硬い芽生えがあること、確認。

風呂のこと、食事のこと、二人で話すともなく、湧いては消える。。ここに書くでもない事柄多数。しかしそれが二人の話題になるのだし実際日記のとば口になったり。不思議だと毎度ながら思う。そして綴る。

聖子さんのお嬢さんが自殺という報を、まさか、いや色々あるでしょう、まさかなあ、と、受け取る。





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