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障害者と共に生きる「わっぱの会」で学んだこと

私が50歳でそれまでの建設業から介護職に変わった最初の職場は共生福祉会 わっぱの会 生活援助ネットワークでした。

20代に当時授産施設(現就労継続支援A型)の開所時職員募集に応募してわっぱの会との関わりが出来ました。  

わっぱの会の(当時の)特長して福祉サービスありきでは無く、メンバー一人ひとりにあったサービスを提供するスタイルで月々の収入は能力や役職に応じた「給料」ではなく「分配金」と呼ばれ健常者も障害者も働いた時間に応じて配分されます。

介護にある「障害者をお世話」するイメージから「パン屋で障害者と共に働いている」実情の違いで離れました。

20年以上経った時に当時の施設長から「訪問介護のアルバイト」の誘いがありそこから初めてフルタイムでの夜勤メイン業務に至りました。

5年間に渡りわっぱの会の各種障害や程度の異なる方と旅行や総会、イベントで会い支援する中で介護スキル取得と定期的な研修で知識習得が出来ました。年齢的に夜勤がきつくて離れましたが在席中の思い出もありました。 

新しく入った職場ではわっぱの会で寝食を共にして生きた介護と「共に生きる理念」で関わりを学べた事が活かせ、他害行動の方に不安なく対応出来るのもここでの経験が大きいように思っています。

私は「発達障害·知的障害者支援」で不穏行動されるテンション高めの方を落ち着かせるのが得意で反対のテンションを上げるのは苦手です。

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