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「カッ」となったり「シカト」されてもその人を想える、歳を重ねた自分

こんな出来事がありました、今までやって来た事を否定されたと感じる行動をされたり、予想外の事をされて、これまでにカッとなり思わず怒鳴り声を上げて失敗した事が何度かありました。

その経験のお陰か、一瞬怒鳴りそうになりましたがやり過ごして怒りのピークを超えて思うのは自分で当たり前や常識と考える事が人によって異なり、悪意を持ってやっている訳ではない事に気づきました。

あの瞬間に感情的にならなくて良かった!と思えました。そして歳を取り失敗経験をする事で丸くなったのを感じました。

この経験とは逆に寂しい思いをした事があります。どこに施設にも難しい方が居て、1人の方は身体や本人の物を触られるのが嫌で激しく人を拒否する方がいました。

これまでに学んだのは気むづかしい人ほど積極的に関わった方が良いと言うことです。人は誰しも拒否される相手より受け入れてもらえる人に関わる時間が自然に増えて更に親密さが増します。

逆に近寄り難く心が折れそうな人からは距離が遠のきやすいです。相手の性格もあるのでベタベタするのは逆効果ですが、心を開いて頂けるまで適切な距離を取りつつも受け入れてもらえる時を待ちたいと思っています。

そう言う方でも受け入れる方も何人か居るので境界線が分かればその人となりが分かる気もします。

前に在籍した障害者の訪問介護で相手はヘルパーを受け入れる余裕がない方も多いので、常に相手の立場でものを考えて、その行動が相手のためになるかを自問自答する事が必要と言われました。

今チャレンジして方は身体が不自由でその事で心を閉ざして、甘えられる人に厳しい態度で接しているように感じます。太陽と樹氷ではないですが辛い事もありますが、その方の心のわだかまりが溶けるように包み込める自分でありたいと思います。

いずれもの例も目の前に現れる人は自分の写し鏡です。相手から「イラッ」とさせられたり、心が折れる対応を受けるのは、「自分が他人に対して同様の行為をして居ないか」に気づき慢心を防ぐ有難い天の図らいのように感じています。

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