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定期検診を通して「病気は何か大切か事を教えてくれる」について思う事

前書き

フォロワーが減るたびに原因は記事内容かな?と思って凹む事があります。私は共感出来ない記事はその方の全てではないのでスルーしてフォロワー解除する方はありませんので心境が分からずモヤモヤしたりします。

本題

では本題に入ります。人が余り触れたがらない病気の話しです、昨年の2021年2月頃に大腸ポリープ切除の術前検査で見つかった腎臓下部の腫瘍の経過観察で定期的に中村日赤に通っています。

今日はその日で午前中は歯科で歯垢を落として後がから受診しました。血液採取、いつもはCT検査ですが今回は初のMRI検査です。1回の受診で1万円弱の出費になり、医師の検査結果の診断までの数時間はいつもながらドキドキです。

眼科や歯科にはない緊張を覚えます、そんな中で「病気は何か大切な事を知らせるメッセージ」の言葉を思い出します。健康時はそうかもと思いながらいざ病気に掛かると素直に受け取る方が難しくなるのは私の弱さでしょうか?

腎臓腫瘍を知らされてから今日までは検査結果を聞くだけでしたが、今回は余裕があって今更ながら症状を再確認しました。

症状は右腎臓の中央部に23〜25mmの腫瘍があり悪性なら腎臓を取っても腫瘍摘出が必要だが今回の結果も含めて腫瘍は「脂肪分」が少ない為に悪性の可能性も考えられ見極める為に手術をして腫瘍の一部採取を勧めたそうです。

医師としては最悪の事態にならない様に勧められた手術を最初は受けるつもりでしたが説明を聞き手術のリスク等を知って経過観察にしました。

それは自分の意思ではなく背後にいるかっこちゃんの言われる「サムシンググレート」の存在からのメッセージに感じました。サムシンググレードとは大なる存在の事で私は「神」と呼んでいます、色々な経験もありますがそれはまた別の回で紹介します。

結び

半年毎に定期受診する腎臓腫瘍を通して「極当たりに思って生活していた日々は、実は生きて目が覚める事さえ奇跡的だった事」を感じました。

その瞬間は感謝出来ても健康と同じく何不自由なく身体が動かせて異常がない時は関心や感謝をついつい忘れてしまう。頭痛や腹痛があったり病気になると健康に有り難さに感謝出来るが何も無い時に感謝出来る人生になれば最高に思います。


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