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阿部 智里著八咫烏シリーズ「玉依姫(たまよりひめ)」を読んで

夕方7時過ぎに娘から読み終えた書籍をもらって翌日10時前に読み終えました。

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あらすじ

生贄伝説のある龍ヶ沼と、その隣にそびえる荒山。 かつて、祖母が母を連れて飛び出したという山内村を訪ねた高校生の志帆は、村祭りの晩、恐ろしい儀式に巻き込まれる。 人が立ち入ることを禁じられた山の領域で絶対絶命の志帆の前に現れた青年は、味方か敵か、人か烏か― Google Books

感想


とても印象的だったのは邪神になりかけた永遠の生命を持つ大いなる神と、有限の生命の悲しい勘違いすれ違いが終盤に明かされます。 ネット全盛期の現在は我々も同じ過ちを繰り返す環境にいるように思います、ひと昔前の双方間のコミュニケーションは対面しかなくその後は電話に移ってきました。それぞれ程度の差こそされ表情や声の調子から相手の感情が比較的通じ易かったように思います。

現在は文字によるチャットや対面していると錯覚させるIT機器の画面を通してのコミュニケーションに代わってきました。文字による誤解が多いのは周知の事かと思いますが、テレビ会議にしても一空間と一定時間を共有しているにすぎません。 もちろん過去とは比較にならない程の情報が入りますが、その方のイメージは視覚に多いに影響されます。画面の背景さえよくして映る範囲さえきっちりしていれば仮に上はスーツで下は短パン、ボロボロアパートでも印象よく映ります。

長時間のリアルな対面は弱くなったとは言え、その方の人となるを感覚的に正確に伝えます。詐欺師は正体がばれないように対面は必要最低限にしていて顔は笑っているは目がそうでもない事が多いようです。

離しがずれましたが、ある意味では人は勘違いの中で生きているのかも知れません、それが時に良い人や好ましくない人に映っているだけのようにも思います。

タネばれに近い感想と読み終えて


一つの神の時代が終わり次の神の時代に移り変わる(物語ではどんでん返しがありますが・・・)には共感を覚えました。実際にものグルーブはこんな流れで進んでいくんだろうなと思うと大概は当たっています、それは論理的に説明出来る部分や直感的な部分があります。 個人の力でがどうしようもない集合的無意識の流れである程度方向性は決まってくるが、確定的ではながらそのままで進めば想定される未来が訪れます。

八咫烏(やたがらす)が気になって調べました。


神武天皇の建国説話にみえる烏。天皇が熊野から大和に進入しようとして山中で道に迷ったとき,アマテラスオオミカミ (『古事記』ではタカギノカミ) が八咫烏をつかわして,天皇の軍を導き,山中を抜け出させたという。「やた」とは「大きい」という意で,大烏のこと。古代日本人が烏にある種の霊能を認めていたことを示すものと思われる。 コンパクトから引用

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☆八咫烏カードのリーディング
picoさんのブログで八咫烏から知ったなゆー*さんの八咫烏カードのリーディングです。

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