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お悩み相談のモカ•迷いうさこさんのパワー溢れる書籍を読んで

今悩んでいる人はこの書籍を読んだら何か一筋の光が見えるように思います。

モカさんのプロフィールを見ると2〜3年前におモカの悩み相談の新聞記事を見て強く惹かれたのが出会ったきっかけです。

本書を読んでモカさんの生き方の一部分ですが知ることが出来ました。鬱時の真っ黒のヘドロに飲み込まれたような表現し難い気持ち、全く動けなく体験もしました。

何か向かっている時は良いのですが、それが達成間際か不可能に感じた途端に激下がりのテンションになります。

p251に書かれていた『飛び降りの事件性を調べる為に部屋に入ったベテラン刑事が言った「女さんは生き急いでいたのですね」』は何故か強烈に胸に刺さりました。

一度読んだだけでは読みからない深さ事が書かれているので何度か読み直したいと思っています。

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18歳に障がい者と出会った人生が一変

それは地元名古屋から初めて出て工場でろう者と出会い手話を知りのめり込みました。そんな中で聞こえ無い人は手話を必要とするろう者だけでなく難聴者/中途失聴者でした。

当時は手話ブームで手話さえ覚えれば耳の不自由な人と話せると思い込んで手話が分からずに要約筆記と言われる筆記通訳で対話する方々が居て孤独感を覚えている事を知ってショクを受けました。

その後、思いを言葉や文字に出来る精神障がいや発達障害の方々と関わる事で自分の世界の狭さや彼らの孤立した心の内を知る機会が多くありました。

介助者や支援者の立場ではなく同じ人として関わってほしいの悲痛な声も聞きました。その後セラピーやカウンセングを学びましたが孤独感を癒すことには全く役立って居ない事を知りました。母が子を思う気持ちが心身の痛みを和らげると感じています。

45歳から人生最悪の5年の乗り越えて

先日ファンのモカ•迷いうさこさんの記事を書きました。初めて知ったのは悩み相談の新聞記事からでした、その事や更に詳しく知りたくて書籍を購入しました。

私も45歳過ぎてから一気にこれでも生きて居ますの問いのような人生どん底のトラブルが仕事で続発しました。もし何かの参考になればと以前に投稿した内容を再度載せました。

フラフラと3階から飛び降りようとして

2012年年末48歳間際の出来事

第二の人生で派遣会社からの転籍出向先の職場の出来でした。

1年目は岡山の国土交通省、2年目は兵庫県土木事務所の仕事を担当して3年目は予期せぬ大阪に1年以上の長期出張でした。

純粋な官公庁なら経験がありますがその時の発注者は半官半民で官公庁の厳しさはあるものの完全な基準がある訳ではく民間的な臨機応変の対応も必要でした。

大阪気質も伴い全く勝手の違う現場で調査入りが大幅に遅れていました、上司と相談して発注者に慣れた人を補助に付けてもらいました。

しかし率先して対応するではなく私の動向を見て注意する後方支援でいつも注意を受けました。勝手が分からずに失敗をすると追い討ちをかける感じがしていました。

夕方に事務所に戻ると更衣室で精神崩壊して泣き崩れる日々がありました、携帯電話に連絡がありしたが出られずに落ち着いたらかろうじて誰も居ない事務所に戻って泣きながら事務処理をしていました。

ある早朝出勤の時にフラフラと3階の窓から乗り出しました。その時フラッシュバックのように過去が思い出されました。

1つ前の職場でのトラブル&退職

2009年9月頃の45歳の出来事

その前の職場は大手電機メーカーの孫会社でした。仕事は官公庁工事の現場監督で昼は現場管理、夜は役所との打合せや書類作成で連日連夜早朝から深夜まで休み無く働いて精神的ストレスがピークでした。

応援を頂いて負荷は減ったものの自分では限界を超えていたように思います。

当時の過労ぶりを親会社のコンプライアンス窓口にメールした事から始まりました。

孫会社が子会社を飛ばして親会社に通報した事に激怒して口調こそ紳士的でしたが現場から外して仕事を与えなくして退職に追い込まれました。

飛び降りも出来ずにもう駄目だと思うも

3階から飛び降りを思うも怖くて出来ませんでした。その思いを派遣先ではなく派遣会社の営業に相談した結果は何かと問題ある会社なので派遣解除の方向で動くので精神科に行って診断証をもらうように指示がありました。

これで上手く行くと思うのも束の間

その後会社間の話しで名古屋に戻り1月から新しい派遣先に移りました。これで新しい道が開けたと思うのも束の間で派遣期間は3月までで短期過ぎてお得意先からの依頼でしたが短期過ぎてどこの派遣会社も躊躇していました。

そこで言われたのは3月末までに次の派遣先が見つから無ければ解雇の話しでした。三度の人生のトラブルが発生しました。

派遣会社はハローワークで見つけたましたが平日は終電まで勤務でとてもハローワークに通う時間はなくネット転職に望みを託しました。

何故そこまでトラブルが続くのか(号泣)

2013年4月〜2014年10月48歳の出来事

人生三度のチャンスでした。資格取得が功を称してネット転職で当時ブームだった太陽光工事の現場管理の仕事に切れ目なく4月から就きました。

これまでの反省を生かしてどんなに過酷でも弱音は吐かずに然るべき人に相談して円満解決を心に決めました。

しかしまさかの出来がありました、それまで数十年起こした事の労災を新しく工事部門を立ち上げた直後に自分の現場で起きてしまいました。

労働基準監督署の是正勧告、社内の厳しい目、更に2度目の労災、車両事故と起きどん底に落ちました。

本来1〜2週間の滞在予定が数ヶ月に長引き現場経費の増加、保険の掛け金upと次々に試練があって何とか怪我をされた方が回復して入社1年目の現場を終えました。

入社2年目になって新しい現場を担当しました、これまでに無かった上司とのトラブルが続発したした。良かれと思った事が裏目に出続けて上司から内線電話や呼び出しがあると心臓はドキドキして頭が真っ白になりました。

故に完璧を求める上司の問いに的外れの事を行っては厳重注意を受けてばかりでした。積もり積もってある時に怒りが爆破して他の社員が居る中でメンツを重んじる上司を罵倒しました。

暫くした8月に退職願いを出しましたが2人の退職者が居るので順番待ち?!で10月になりました。今になってみれば何故あんなに上司が駄目だったのか理由は不明です。

5年足らずの間に3回も転職するとさすかにその事で疲れて落ち込みます、入社当初は新しい職場に慣れるまでそんな事を考える間もないのですが。

30年間1回の転職が5年間で4回って

その頃になると官公庁、民間を含めて全国を転々とする現場管理仕事に嫌気と言うかまあいいやの思いがあって現場作業員の道を選びました。

2014年11月翌月の50歳誕生日直前にそれまで半世紀関わった職種から大きく変わりました。

試練は4度ありました、所属した上司がそれまでの経歴や資格を妬んでいじめに合いました。噂には聞いていましたが学校ならともかく職場のいじめは初めて経験しました。

それまで厳しくて逃げ出した上司は居ますがいじめとは異なります。小学生のように大の大人がターゲットの工具鞄を砂に埋めたらするのを見ました。

その方は仕事も出来る方で2人の時に何故他に転職しないのかを聞くと「他では自分は使い物にならない」と聞きました。いじめはその人の人格さえ破壊する単に厳しい環境なら乗り越えて後に何かが残るがいじめを伴うブラックな職場に居ては行けないと強く感じました。

入社時は骨を埋める覚悟の会社を去る決意をしたした。そしてこの建設業界に自分の居場所は無いと感じて介護職に変わりました。

加齢で介護の夜勤がキツくなって

入社時は50歳で暫くは昼夜逆転に慣れるまでは体調不良が続きましたが何年かすると慣れました。

介護は定年後の夢と言うかやりたかった事を一足早くやれたこのまま定年まで行くだろうと漫然となく思っていました。

3年目の53歳過ぎから週2回の夜勤が辛くなり始めて夜勤中に精神的不安定になる事がありました。何とか続けたいと思って日勤の仕事を打診しましたが夜勤以外の勤務は無い状態でした。

辛ければ休んでいいと言われて2019年11月に勤務途中にあった児童デイサービスの看板が気になりました。1年前からネット講座の受講料を稼ぐために福祉関係のアルバイトをして、その時は児童デイサービスのアルバイトをしていました。

障害を持った子どもとの関わりといいなと思いながら給与面の課題がありましたが面談をすると合格して、それまで障害者介護が人生最後の仕事から道が開けました。

子どもと本格的に関わって試練は続きましたが

2020年1月55歳から未知の仕事に本格的に関わりました。職種が変わっても送迎の大トラブル、すれ違い時の接触事故、駐車場にバック停車時に壁との接触、子どもを感情的に怒ってtopから厳重注意を受けたらとトラブル続きでした。

もう駄目かと思っていましたが5月中頃よりトラブルは過ぎ去りバタバタの忙しさはありますがトラブルはパタリと止まりました。





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