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この夏、本をめぐる旅 〜轢かれた仔猫と雷蔵とひとりの編集者〜③

校舎に入ろうとドアを開けると
油絵の具や日本画の膠(にかわ)などが混ざったような匂いがする。
その匂いが漂う同じ空間で同じ時期に表現について語り合った仲間。
いま何をしてるかと思い出そうとすると、その匂いが蘇ってくる。

雷蔵本の残りが3分の1を過ぎた頃、
清野さんから「金美の後輩で、南部麻子って、ご存知?」というメッセージが届いた。
金美とは僕の母校金沢美術工芸大学のこと。
金沢・兼六園の奥、小立野という台地にある小さな大学だ。
在学生合わせても600人程度だから、同じ学科なら前後の学年はほぼ顔見知りの仲。
でも僕はデザイン科で、南部さんは油絵科。
残念ながら、記憶の中にはなかった。
たぶん面識はないと返事をしたら、彼女は今年2月に逝去されたという。
彼女の追悼文集をつくったからそれも読んでみて!と、
歯切れのいい言葉とともにメールでその文集が送られてきた。
どうやら、入学年度は僕と一緒だったが、休学したため卒業は1年後輩になる。
卒業後はアートブックや写真集で有名だった光琳社に入社。
その後光琳社が倒産し、フリーの編集者となる。
24名分の追悼文を読み進めるうちに、ひとり一人の彼女を形容する言葉から
僕の中で彼女の輪郭が次第にはっきりしてきた。

特徴は「きりっとした美人」「大きな鳶色の瞳」「リボンの騎士サファイア似」「美しい顔立ち」「ショートカットがなんとも似合う」「少年のような痩躯」、
そして「関西弁混じりのハスキーで落ち着いた声」「独特の間合い」、
でも「クリスマスローズのよう」。

性格は「芯の強さ」「静かな迫力」「決してブレない」「あねさん」
「柔らかそうにみえて実は剛の者」「カラオケは歌わない」、
でも「屋上が好き」。

仕事っぷりは「弱音も愚痴も吐かない、そして逃げない」「アンカーのような存在」「丁寧で根気強い仕事」「自分の言葉を持つ編集者」「指先が赤ペンのせいで赤く染まっていた」
「本のかたちを俯瞰して組み立て、ミリ単位でじっくり整えていく仕事をする」「職人であり編集者でありアーティストであり、よき読者でもある」
「一冊の本へのロマンと、それを世間に問う手法を両立できる編集者」。

そして、僕もその仕事を尊敬するブックデザイナー鈴木成一さんの
「限りなくデザイナーに近い編集者」という彼女を評する言葉が多くを語っている。

本づくりのすべてに目を行き渡らせたいのだろう。
手製本の教室に通って、自分の納得のいく製本を追求したり、
通常はデザイナーが作成するサムネイルを編集者である彼女が描いて、
関わるスタッフに配ってイメージを共有したり、
本の全体の流れを自分でもつかむために、文字と写真を配置したレイアウトを作成することもあったという。
デザイナーからしたら越権行為とも捉えられる可能性もある。
でも、彼女の仕事っぷりを知っている人からしたら、
それは本づくりという長い道のりを進むための力強い羅針盤なのだ。

2004年からスタートした清野さんとのふたりの本づくりは合計11冊となる。
「一冊の本づくりを、ひとつの表現と考えるように」なった清野さんが
書くことに集中できるための環境を整えるのが彼女の仕事。
例えば、雷蔵本。
掲載された130点もの写真は、映画本編からキャプチャーされたものだ。
各作品の場面を何度も見返し、雷蔵の良きショットを秒単位でストップし、
それをリストにして、清野さんに確認を取り、権利を持っているKADOKAWAに渡す。
その作業を彼女ひとりで行ったという。
書けないと愁訴された時には勇気づけ、
意見が対立した時でも自分が正しいと思ったら頑としてはねつける。
清野さんのものづくりに対するあふれる思いを彼女は受け止め、
一方で、それが決壊してしまわないように厳しく管理する人だったのだ。

30年以上前にあのどんよりした空の下、同じ大学で学んだ仲間の
仕事に対する姿勢をたくさんのプロたちが褒めているのは
ちょっと誇らしく、追悼文集を何度も読み返した。
世の中がこんなにも不安定な状況で、行く先が見えなくなっている人も多いだろう。
本来楽天的な僕でも揺らぐことが多く、自信を失うことさえあった。
そんな時、暗闇で立ちすくんでいる人の足元を照らすのは、表現物だ。
彼女がまとめた往復書簡本のおかげで、あの時の僕が立ち直れたように。
だからこそ手を抜いた仕事はできないと改めて思う。
ブレない芯を持った彼女のような「ものさし」を持つ表現者でありたい。

轢かれた仔猫から始まった、3冊の本を巡る旅は終わった。
顔もわからなかった南部さんという女性が、今では確実に僕の中にいる。
やわらかな輪郭で、あの校舎の匂いをまとって。


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