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宇宙犬(うちゅういぬ)

わたしは、犬が好きです。老いも若きも、大きいも小さいも最高です。
でも、飼ったことはない。
子どもの頃、親が「絶対ダメ」と、犬を飼うことを断固許してくれず、そのまま私も大人になってしまった。
たしかに、動物と暮らすというのは、もう一人世話が必要な家族が増えるということだし、今考えても共働きの両親と子ども二人、といううちの家庭ではきっと難しかっただろう。

でも「犬と散歩したい」「犬と遊びたい」という気持ちが抑えられなかった私は、よく近所の犬を借りていた。
よっぽど犬と遊びたかったんだろう。引っ込み思案だった私が、勇気を出して、親以外の大人に、「犬を貸してくれませんか」と交渉しにいった。近所の人もいい人だったので、快く犬を貸してくれた。
味をしめた私はその後も何度か犬を借りて、散歩に行った。その犬の名前は忘れてしまったけれど、きれいなグレーの色をした小型の犬で、元気でよく走る犬だった。
今でも実家に帰ると、よくこの話をされてゲラゲラ笑われる。自分でも、大胆なことをしたなと思う。

今住んでいる地域には長い緑道があって、ランニングしている人や犬と散歩している人をよく見かける。犬同士、飼い主同士があいさつする光景にもよく出くわすし、犬好きには悪くないエリアだ。
「あの犬は老いてよぼよぼだけど、優しそうだな」「あの犬はまだ若くて元気だ」と、それぞれの犬を観察できる。

私がとくに見ていて好きなのは宇宙犬(うちゅういぬ)。
宇宙犬というのは私がつくった造語で、夜中、光る首輪をつけて散歩している犬のことだ。
(↓こういうやつです)

初めて光る首輪を見た時、UFOの輪っかのように見えて「宇宙」と「犬」が結びついた。
「宇宙犬…」
以来、その首輪をつけている犬は、自分の中で「宇宙犬」になった。

何かに名前をつけることは、その存在を自分の中で確固たるものにしようとしているのだと思う。それは自分の世界を自覚していく作業のひとつのようで、しっくりくる言葉が見つかるとちょっとうれしい。
それを恋人や友だちに伝えられると、世界が共有できて、相手の世界にもちょっと入り込めたようで、さらにうれしい。
前に付き合っていた恋人に、「宇宙犬」の話をしたことがあった。
すると恋人も、光る首輪の犬を見かけると「宇宙犬!」と言うようになって、二人の間でしかわからない言葉を持っていること、それがうれしかった。

今は実家の隣に住んでいる親戚が犬を飼っているので、帰省したら必ず散歩に連れていく。でもその犬も歳をとってきて、昔ほどの元気はなくなってしまった。目も悪くなったようで、玄関にある3段ほどの階段も降りられなくなった。
それでも、遊びに行くと喜んでくれる。
あと何回散歩に行けるだろうか、私の先を歩くきみのお尻の穴を、あと何回見られるだろうか。
回数じゃないか。今、ここで頭と身体がどう動くかだよなと思った。


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