無題

友人の通夜があった。出席番号が一つ前だった子。
よく保健室で一緒になり、同じ症状について悩んでいた。
この曲が元気が出るといって励ましあったりした。
当時私は携帯を持っていなかったから、同窓会で会ったら、保健室の日々や暗くて重い思い出話をしようね、と笑って卒業した。
大学生になったとき、他の友達が見せてくれたインスタでは、彼氏と楽しそうに写っていたのに。

私が再会を待っている間に、一人で戦っていたのか。

高校3年生のときに悩んでいたそれに私はまだ振り回されているけれど、それでも何とか気を紛らわせてやり過ごしている。
彼女が私と同じ問題をさらにこじらせてしまったのか、それとももっと他の何かがあったのかは分からない。
どうにかすれば連絡先だって知ることができたのに、数年後の再会を待ってそれをしなかった私には、想像することしかできない。
遺影の前には、きっと生前好きだったのであろう缶の酒が供えられていて、それは少しだけ、私にとっては救いでもあった。彼女が成人することを楽しめた証かもしれないから。

彼女は大学を卒業できなかったらしい。私がずるずると高校生の時の芽をひきずったまま、それでも端からみればまあ順調な人生を送っているのとは違う。
進級をのがしたとき、どんな思いでいただろう。周囲から取り残されている、という焦りはどれほどのものだっただろう。自分にはどうにもできない問題で、自分が思い通りにならない辛さはいかほどのものだっただろう。

私と彼女は、ものすごく親しいわけではなかった。でも、お互いに他のクラスメイトにはとても話せないような悩みを知っていた。不思議に重い、そして細いつながりを持っていた。
私がしぶとく生きている一方で、彼女は足早にいなくなってしまった。私が何を食べていいか分からなくて悩んでも、面倒だと思いながら大塚食品のマイサイズを食べても、眠れないと思いながら薬を飲んで悶々としても、そのうちのどれ一つとして彼女はもう感じることがないのか。この世界からいなくなってしまったから。

戦って戦っていなくなったんだろう。きっと、私が毎日相対している人だって、何とか生き延びてくれたからこそ、目を見て話を交わすことができるんだ。それは本当に幸運、偶然としか言いようがないことなのだろう。
人の通夜に出て何かを感じようと努めるなんて、呆れるほど安易で下世話なことだ。それしか分からない。ものすごく親しいわけでもなかった友人について、思い出話をこねくり回すなんて。