落ちこぼれちゃっていいじゃん

どうも。子供のころ「ああいう大人にはなりたくない」と思っていた大人になってしまった私です。

このコラムは何かをあきらめきれないダメ人間が、その哀れな人生を仲間たちと舐めあいたい!という趣旨で書いています。リア充の方は即刻ご退場ください。

勝ち組と負け組

世の中には勝ち組と負け組というものが存在します。何を”勝ち”として何を”負け”とするかは人それぞれですが、あなたの中にもそういった線引きがなんとなくあるのではないでしょうか。

一般的には、お金を持っていたり、社会的地位が高かったり、容姿が整っていたり、才能があったり・・・・そんな基準で判断されることが多いように思います。

たしかに、そういう人たちのことを私たちはうらやましいと思います。誰だって贅沢な暮らしをしたいし、周囲からちやほやされたいし、自分の才能で誰かを魅了したい。

でも、実際にそんな人生を送ることができるのはほんのひと握り。残りの大多数は平凡な人生を歩んでいくことになるのです。

すると、その大多数の人たちは幸せをあきらめ、妥協して生きているのでしょうか。きっとそうではないでしょう。

平凡な暮らしにはそれなりの幸せがありますし、むしろ周囲から羨まれたりねたまれたりしない分、ある意味では自由に生きられる側面もあります。

私から言わせれば、平凡な暮らしができているだけでも十分うらやましいものです。

世の中には、世間から勝ち組と称される人たちと、そうでない大多数の人たち。そして、さらにその”大多数”からも落ちこぼれた人たちが存在します。そう、いわゆる負け組というやつですね。

負け組というのは、一般的には平凡な暮らしすらまともに送ることのできない人々のことを指します。

借金まみれの人、ブラック企業で酷使される人、親のスネをかじって引きこもる人、周囲とうまく関われず孤立する人・・・・いろんな形の落ちこぼれたちがいます。

かくいう私も負け組の立派な一員です。私はどちらかというと「周囲とうまく関われず孤立する人」の部類に入ります。

私がダメ人間になった経緯について知りたい方はこちらの記事をご参照ください。↓

本当の勝ち組は「充実した毎日を送る人」

さて、この勝ち組と負け組の話はあくまで”一般的”な基準での話です。私自身は、もう少し違う角度で線引きをしております。

私が基準としているのは、「充実感をもって生活できているかどうか」です。

私にとっての勝ち組・負け組という概念は物質的・実際的なものではなく、精神性によって成り立っています。

たとえば、お金持ちだったら誰もが幸せになれるのでしょうか。顔が良ければ、才能があれば、誰だって人生を謳歌できるのでしょうか。

私はそういう人たちになったことがないので断言はできませんが、おそらくそうではないのでしょう。

どんなにお金を持っていても周囲から疎まれ嫌われている人もいれば、誰もが羨む才能を持っていても自殺してしまう人もいます。最近では芸能人の自殺も多く報道されていますね。

果たしてそんな人生は幸せといえるのでしょうか。

自分がどんなに恵まれた環境・資質をもっていたとしても、自分の人生を空虚なものだと思ってしまえば私は負け組だと思うのです。

それでは私にとっての勝ち組とはどういう人か。それは毎日を「楽しい、わくわくする、やりたいことに夢中になれる」という状態で過ごしている人たちです。そこにお金や顔の良しあしは関係ありません。

ただ、自分自身の生活に対して納得がいっているかどうかなのです。

「負け組」な私はどう生きればいいか

この基準と照らし合わせても、私はやはり負け組です。自分のコミュ障っぷりに毎日うんざりし、仕事での失敗をトラウマのように思い出しては発狂し、休日でもやる気がおきない。ゾンビのような生活を送ってしまっています。

私が勝ち組と定義する状態からは遠く離れた現実の中を生きています。

ですが、私はこのnoteのコンセプトの一つでもあるように「なにかをあきらめたくない」という気持ちだけは持っています。

一体”なに”をあきらめたくないのかは自分でもわかりませんが、今の現状を打破したいという気持ちだけは強いのです。

私は世間一般から見れば落ちこぼれです。そのことについて、長年コンプレックスを抱えて自信を喪失してきました。

お金もないし、顔もよくないし、話もうまくないし、人に誇れることなんて何一つない。そう思って何も行動せず、ただじっと日々を耐えてきました。

しかし、上述したように「人に誇れること」とかそんなことはどうでもよく、自分自身に目線を合わせ、納得のいく人生が送れればそれで幸せだと思うのです。

だから、私は最近心の中でこうつぶやくことにしています。

落ちこぼれちゃってもいいじゃん

たとえ世間から落ちこぼれだと思われようが、自分自身でそう思わなければいい。自分の身の丈を慎重に測り、それに適した範囲の中で全力で生きていく。

そうすればきっと、明日は今よりもよくなっていくし、将来的には自分自身を受け入れられ、充実した日々を送れるようになる気がするのです。

他人からの評価なんてどうでもいい。落ちこぼれちゃってもいい。

ただ自分自身を抱きしめる努力さえすれば、いつか道は開けるのだと信じていきたいものです。


大事なお金は自分のために使ってあげてください。私はいりません。