見出し画像

アニメ「バビロン」を見て

今回は、「バビロン」を見ました。原作の野﨑まどさんが好きで、バビロンの原作既刊の3冊を呼んだ状態で視聴しました。

今回視聴してみて、やっぱり文章と映像では性質が違うなということを実感しました。

まず、アニメだと曲世愛の洗脳まがいの誘い声や禍々しい雰囲気を表現するのにいろんな手法があるということに気づきました。正崎さんが曲世を取り調べするシーンでは、曲世がちぐはぐなことばかりい言ってからかっていることを表現するために、同じ部屋にいるのにカットがぐちゃぐちゃになっていました。また、曲世が電話で洗脳するシーンでは、声にエコーをかけたり紫色のよどみを絵の中に混ぜたりすることで、危ない雰囲気を演出していました。これは文章で読むよりも直観的に、曲世のファム・ファタールぶりが分かって良かったと思います。

次に、曲世に執着する正崎さんの描写です。正崎さんは、悪人である曲世を恨み憎み、でも曲世をどうすることもできていない自分に焦りを感じています。アニメでは、曲世の幻影を見てしまった描写や、その時に汗がだらだら流れてきている描写から、その心情を感じることができて良かったと思います。
が、アニメではその心情が分かりやすいほどに伝わってしまうために、正崎さんが必要以上に執着しているというか、周りが見えていないようにも見えてしまうなと感じました。文章だと読者の頭の中では正崎さんだけにスポットを当てることになりますが、映像となるとどうしても背景や周囲の人の表情も描かれることになるので、時に浮いているように感じることもありました。

また、このアニメのクライマックスでは、自殺法の是非を考えるために善悪の基準を考えるというシーンがあります。この善悪の基準を7人で考えるのですが、7人とも着席した状態で話しあうので、アニメで本当に着席した状態の画が続くと少々退屈します。しかし、話の内容に合わせて仮想背景の下で話しているような演出をしていました。これにより画が退屈しないだけでなく、7人が思考の世界に浸かっているということが表現できていてよかったと思います。

原作を読んでいるということで、ストーリー的な驚きはなく見進めました。むしろ次のシーンの展開が分かるからこそのハラハラもあったように思います。
が、最後の最後で原作とは違う展開がやってきました。実はまだ「バビロン」の原作は完結していないため、アニメ用のエンディングが用意されたのだと思います。原作で明かされていないラストということで制作陣の方も迷ったと思いますが、雑なエンディングだなと思う一方で、原作未完なら仕方ないかなとも思いました。原作に期待です。


ちなみに、私は原作の作者・野﨑まどさんを信仰しているレベルのファンで、かなりバイアスのかかった読者であり視聴者だと思います。

私はこの作品をアマゾンプライムで視聴したので、他の視聴者のレビューを見ることができます。「バビロン」は☆1、☆2、☆5の順番に評価の多い作品で、平均は☆2.4でした。
私はこの賛否両論分かれている感じが、たまらないなと思いました。私は私を裏切ってくれるストーリーが大好物です。今作は、最初ドラマでもあるようなサスペンスのジャンルの話かと思いきや、オカルトのような話に移り変わっていき、最終的に哲学的な話題に帰着します。その話の転換の節々で、視聴者を置いてけぼりにしてしまったことが、「否」の意見を増やした気もしますが、その原因こそが私の求めているものなのです。

というか、私は野﨑まどさんが無茶な起承転結の転を持ってくる人だと知っていたので、原作でも「何か来るぞ」という心持で読むことができました。それも置いてけぼりにされなかった要因で、楽しくストーリーについていけた理由かなとも思います。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?