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釣り変人


「自転車釣り活動部」

幼少の頃から釣りキチの父に連れられ、海に通う週末だったので、釣りは生活の中の、あたりまえの一部であった。
様々な場所で、どんな仕掛けにどんな魚が食い付くか、そんな事が自然と身についていた。

中学生になって仲間と行く釣りはほとんど近場の釣りとは言えぬザリガニ釣りばかり。たまに近場の池で鮒や鯉を釣るくらいなものだった。
釣りを楽しみに行くと云うより、悪ガキ仲間と竿を垂らしながら落ちてガビガビになったエロ本のページを剥がしたり、カエルに爆竹を突っ込んでみたり、それを糸に括り付けてザリガニ釣ったり、隠れて煙草をふかしたりするのが常で、釣りは二の次のタテマエだった時期もあった。
それなのに何故か突発的に釣り遠征する事もあり、大倉ダムまで自転車を何時間も漕ぎ続け、稚拙な仕掛けと対象魚と微妙に合わぬ釣り道具で、釣れもしない大鯉を狙って、ただただ夜中まで騒いだだけのイベントの様なモノだったりしたのは、何か意味があったのだろうか?

陽炎に歪んだ地平線のように見える、新しく出来たどこまでも真っ直ぐで終わりが見えない湾岸道路を、滝のような汗を流し、自転車のタイヤがアスファルトに溶けてくっつきやしないか?なんて思いながら到着した全長2kmの、「く」の字の堤防。
ロープで堤防上まで引き上げた自転車で「く」の字を滑走し、クーラーやらロッドケースの大荷物を担いでのたり歩く釣り人の合間を駆け抜けてゆく。
その一瞬だけの優越感は、帰りに抜いた釣り人がエアコンの効いた車でビューンと自分達の前から走り去るのと天秤にはかけない。かけてはイケナイのだ。

そして夕陽に向かってペダルを回すが、帰り道も同じ3時間かかると思うとすっかり萎えてしまう。
腹が減って小さな売店で焼きそばパンと牛乳。それが輪をかけてボクらを萎えさせ、売店の横の公衆電話で親父に助けを求める。
親父の車はワンボックス車なのでチャリンコ2台は余裕で積めるのは、行きの道すがらもう考えていた。
親父の晩酌タイムの前に電話するのをもう決めていたのかもしれない。
出来の悪い中校生ってみんなそんなモンだ。きっと。
「親父の晩酌のツマミを釣ろうと思った」ってな事を言う狡賢さはあったけれど、荷台に括り付けたコンパクトクーラーボックスには、痩せたサバが数本とアイナメが1尾だけで、あとはおふくろがどうにか調理してくれるであろう。親父の晩酌のツマミ。


「渓流の魅力」

渓流釣りにのめり込んだのはもう35年もまえの27歳の時。
27歳というのは、割烹店で修行を積み、店を任せられるようになった後に独立し、自分の店を立ち上げた年で、当初から常連になってくれた、単身赴任の宇治出身ではんなりした京都弁を使う、50代のお客さんが
「親方、海もいいけど渓流釣りも楽しいから一緒に行こう」と誘ってくれ、早速道具を揃えてホイホイ付いて行った。

そのお客さん、釣りといえば渓流釣りだけしかやらぬ。のだそうで、しかも毎日出勤前に竿を出していたという相当の釣りキチである。
後にボクの釣り師匠となる。
釣号(ちょうごう:釣人としての字名)を「仙庵」(せんあん)といった。

渓流釣りにはビギナーズラックというものがほぼない。
基本は渓流を遡りながらポイントを見つける「動」の釣りで、対象魚のイワナやヤマメは空中と水中の音や、水上部の動きや影にとても敏感で、その時のテリトリーエリアが狭いほど俊敏で隠れるのも速く、強い警戒心を解く時間も長い。
そんな魚を騙して釣り上げるには、釣り人側にも多くのスキルがなければ対抗できないし、ヤマメに関しては学習能力がすこぶる高い。
色々な釣り方で多種多様な魚を釣ってきたが、ヤマメの頭の良さはトップレベルだと思われる。

警戒心が強い魚だが、近付いても隠れずに悠々と泳いでいる時がある。そんな魚はまず釣れない。
もちろんコチラに気付いているが、かなしいかな、この時点で釣人は天敵とは見做されていないのだ。

透明度が高く、清らかな流れの住人で、その渓を囲み護っている美しい森。
そこに足を踏み入れ、自然美の中で孤独な釣りを自分のペースで楽しむ。
途中で山菜やキノコを採ったり、美しい流れや山々の木々を撮ったり、時には焚火を熾し、湧水を沸かして珈琲を淹れたりしながら一日を過ごす。

その中の大イベントが、好敵手ヤマメとのやり取りだ。
ボクにとってこんな魅力的な過ごし方は他に無い。



【師、仙庵】

渓流釣りの分類は3種類あり、餌を使う「餌釣り」
毛鈎を使う「フライフィッシングとテンカラ」
金属片や小魚に似せた疑似餌を使う「ルアーフィッシング」
仙庵は餌釣り専門の釣り師だ。餌はほぼ現地調達で、水生昆虫(主にカゲロウの幼虫等)やミミズ、バッタ、コオロギを使う。
初めて連れて行ってもらった時は「釣らせてもらった」感が強く、それでも初めて手にしたヤマメのモノクロ的な美しさとその流線型のフォルムに一目惚れしてしまった。
イワナやヤマメは滅多に市場に出回らない。稀に見るのは養殖イワナくらいのもので、板前を生業にしているのにヤマメは食べたことがなかった。

仙庵と釣ったヤマメを店に持ち帰り、炭火で焼く。五月のヤマメは雪代(ユキシロ:山からの雪解け水)で流されてくる水生昆虫をたらふく食べて肥えているので、特別美味いのだが、それを初めて口にした時の衝撃と感動は今も忘れられない。

仙庵師匠とはその後何度も一緒に釣りをするが、釣りに関してはほぼ何も教えてくれなかった。
釣りはそれぞれ楽しいと思うやり方でやれば良いという考え方。

代わりに多種多様な焚火の仕方を教わる。薪が少ない時、濡れている時、焚き付け材のあれこれ、強風時の組み方、空気の入れ方、積雪の中での焚火、より美しい炎、熾の使い方etc…
自然の中に居る自分の楽しみ方とでもいうのか、それを彼から学び、今のボクのスタイルの原点となった。


【楽しみ方・地図読み】

渓流釣りを始めた頃は、たくさんある川から無作為に目の前に出てきた川を釣りまくったが、だんだん慣れてきて1/50000の地図を読むようになってからは、河川の中でも魅力的なエリアを選べる楽しみ方を覚えた。
切り立った崖のゴルジェ帯や、ゴーロ帯、フォール(滝)の記号を等高線を交えて読んで景観や流れの勢いを想像し、脳内でジオラマを映し出し、大きな渓流魚の棲家を探し出す。仙庵は地図読みにも長けていて、色々教わる。
等高線のちょっとした間隔で、小さな滝を予想したり(落差5メートル以下の滝は、地図上に表記されない)、沢の出合いの狭いがテン場(野営地)には景色が良くて充分なスペースを見つけ出したり。
2人で赤ペンを持ち、地図を何枚も広げて重ね、ジオラマを描き、キャンプ釣行の策を練って酒をちびりと飲むのがとても楽しくワクワクする時間だった。


【楽しみ方・リュック詰め】

釣行場所が決まると、宿泊日数を加味して食糧やシュラフ、食器、釣具などを用意するが、背負えるのは60〜70ℓのリュックなので、詰め込むモノにも限界がある。
当時、テントは今ほどコンパクトでも機能的でもなかったので、嵩張って重いテントは天気図が悪く無い限り持っていかない時が多かった。
ベースキャンプ地までは遠い。
途中には丸太ん棒1本だけの橋や、崩れやすい急斜面、滑りやすいナメラ。そんな場所、できるだけ身軽にしないと危険度合いが増えるばかりで、ただでさえ太っちょのボクはそこんところをよく考慮しなければなかった。

「贅肉を削ぎ落としたザックを背負う、贅肉多き人」と云う、趣味と体型が合っていない人のジレンマ。

火はガスバーナーを持つが、あくまで予備。煮炊き調理も暖も灯りも全部焚火でまかなうスタイルだから必要最低限。

仙庵の70ℓザックにはずいぶんと前に購入したあんぱんが必ず入っている。それはもう乾燥し切って、乾パンの類いに入るほどで、彼の非常食、いや、常備食となっていた。
渓流での一服タイムに必ず勧められるがいつも断る。
「あん乾パン」をコーヒーで流し込むと至福なのだそうだ。
シュラカップ1つ。
酒を飲む時も、ご飯を食べる時も、汁を飲む時もコレ一つで済ます。他に容器が必要な時は熊笹や蕗の葉を代用するので何の問題もない。
酒はキツイのを瓶からスキットルやペットボトルへ移し替えるが、ビールだけは外せないので2本づつ忍ばせる。
調理器具は飯盒とコッヘルだけ。
そしてリュックの蓋のジッパーには1/50000の地図が折り畳んで差し込められる。



【ビバーク】

テントの代わりにツェルトという天幕を持つ。テン場(野営する場所)の木に細いザイルを張って、それに屋根型になるように大きな風呂敷(ツェルト)を被せて四方をザイルで張るだけの簡易雨除けだが、風や雨があれば低く張り、天気が良ければ高く張る。その下はもちろん石や土や草で凸凹なので、笹や草を刈って下地のベットにし、その上にシュラフ(寝袋)とシュラフカバー(ゴアテックスの防水カバー)で眠りにつく。
コレはもうキャンプとは言わず、ビバーク(野宿)の類いだ。
テントの薄い生地で外界と隔離された空間と違い、裸で寝る様な開放感がそれにはある。だがそれに伴い野生動物やオバケの恐怖感もプラスされるが、その時目に見える怖さと、布一枚の目隠しの怖さと、どちらが良いかという好みの問題。

昨今アウトドアブームでキャンプ人口が劇的に増えている。
キャンプ(屋外生活)を純粋に楽しむキャンプだが、ボクらのキャンプは釣りの為にし得るキャンプなので、また意味合いも変わってくるのかと思う。


【雨音の中の釣り】

山で数日過ごす時はもちろん、天候をみて決定する。
折角だから天気の良い中で渓流釣りを楽しみたいものだ。

しかし、ベッドの中、夜更けからの優しい雨音で目が覚めた時、無性に単独釣行をしたくなる。

雨の渓流の朝は暗くて少し遅い。
レインウエアを着込んでロッドをセットし、足元が薄っすら見えてくるまで、ウエアに当たって弾ける柔らかな雨粒を感じている。
不規則な音を叩くその音色は単純であり複雑。目を閉じると今自分がどこに立っているのかわからなくなりながら、深く息をしている。
小粒、大粒、葉に溜まって落ちた塊粒…

渓流に起ち、雨で叩かれている流れにルアーを放る。
木々の葉がしっとり濡れて、薄い朝の明かりに鈍く反射している。
美しい。
目に見える場所全て濡れそぼっているし、ボクも濡れて、それに溺れている。
いつもだったら元気に飛び回る鳥の囀りも、風で揺らめく木々の音も、雨に煙った淡墨の森に吸い込まれている様に静かで美しい。
天を仰いで顔に雨を求め、そのまま深呼吸をすると、鈍く光る緑も淡墨も、その全てを吸い込んでしまいそう。
静かな雨音だけの渓流はボクだけの癒しの場所だ。

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