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2022長野マラソン 心情いろいろ

年甲斐もなくTwitterやFacebookなどSNS好きなおっさんですが、
SNSの気楽に読めるボリューム、とか140字とかには収まらない、けどちょっと掘り下げて今の自分の気持ちのスクショみたいなのを残しときたいなあ、
と思って書いてみました。基本、自己満な日記みたいなもんですので…😅

さて本文。
まずは、3年ぶりの長野マラソン。不安と自信とワクワクと開催されるのかヒヤヒヤと、いろんな感情入り混じりでした。
風潮がどう触れるかわからない中、「世間に叩かれるのヤダから中止しとくのが無難」って風潮がまだ強いご時勢、開催に尽力いただいた関係者、ボランティアの皆さまに、とにかく大感謝‼️です。

準備期間 足裏側面痛、からの不安なラスト一週間


練習の積み上がり方はまあまあ順調な感。11月の10km大会「イクラン!松本山雅FC」以降、「スピード出し過ぎてバテる」クセがついた感あったものの、体力・筋力は上がってるっぽい感触で、練習で10km走すると普通に5'20"/km前後が出て、結果的には過去イチの向上感・充実感。

しかし好事魔多し。(←使ってみたかったフレーズ)
2週前のラン後、かかとにヒリヒリ系違和感、ソックスが擦れて穴あきかけててこれは本番に使えないなぁ、と。思い返すと、ここから歯車がズレ始めた感じだったんかな…
翌週、1週前のランで新調ソックス投入。・・が、走り終えたら両足裏の側面がめっちゃ痛み、歩くのもちょっと辛くて翌日まで変な歩き方するくらい。結局痛みが引くまで2〜3日。どうも、アーチサポートを頑張ってるソックスってのがワタシには合わないらしい。

色はいいんだけどねえ…



さらにはその痛みをかばっていたのか、腿にコリに似た鈍い痛みが😭 金曜夜にマッサージクリームみたいなのを必死に塗りまくり。ロキソニンの液体の塗るやつとかも買って来てみたりと、もう藁をも掴む思い。
1週前までの「いけんじゃね?」って気分が一気に急降下…

抗原検査、初体験

そして眠りも浅めな金曜夜は明け、前日受付へ。
仲間と乗り合わせてビッグハットへ。風が強くて寒かった。3年前とは賑わい方も流れもいろいろ違ってたけど、最大の違いは「抗原検査」、というか今回これがメインなくらい。抗原検査自体初体験の私はなんかドキドキもんでしたが無事通過。

抗原検査、初体験


スタートまで

当日は、またみんなで乗り合わせて会場へ。🚙🚌
山雅もマラソンも大好き集団"RunSou1"恒例の決起集会。RunSou1のコールリーダーの呼びかけで、地元のJチームのサポさんや他のJユニランナーさんとも一緒に。

地元のチームの方と記念撮影

サンアルのスタジアムMC🎤のあの方も加わっていただき、更にテンションup!…のはずが、個人的にはそこまで上がらない・・
嬉しかった、楽しかったのは違いないけど、なぜか今回はそこまで昂る感じではなかったんですよね。静かに燃える、というか。まだ足裏痛・腿痛の心配を残してたのかも知れません。

そしてスタートブロックに着くと、数m前に「4:00」って書かれた金色の風船つけたランナー🏃‍♀️が!こんなにペースランナーさんの近くから出発するのは初めて。目の前に🥕ぶら下げられた感覚でした。

いい感じの滑り出し、からの…

そしてスタート!私たちは4分遅れくらいでスタート。金色風船を視野から外さない、思いのほか順調な序盤〜中盤。しかしそれが落とし穴でした。
ホワイトリング(25km)あたりまでは比較的体力も疲労感もまだ大丈夫な感じも、このあたりから少し両手指先に痺れが…。同期して徐々に重く…硬くなっていく感覚のふくらはぎとふともも。じわじわ遠ざかる金色の風船。ここからはもう金の風船マークを断念、時計みると29㎞過ぎ地点の平均Lapは5'35"/km。「30kmで2分くらいの貯金あるから、単純にkmあたり10秒余分に使ってもいいはず!」と。

26km付近。この辺りから痺れ感が少しずつ。まだちょっと前に金色風船が見えます



しかし、そこをトドメに削りに来たのが30〜32kmの通称”ふたこぶラクダ”🐫と、その後の松代PAを過ぎ上信越道をくぐって川沿いへ戻る坂。
この坂3コンボ
を越えた後はもう腿と脹脛はパンパン。気づくといつからか指先が丸まってた(これダメなやつ)。
そこから32~34km台は脚の痛みに耐えちょこちょこ止まったり歩いたりしながら時計とにらめっこランになりました。ここで同じGブロックからスタート、目標や力もまあまあ近い(と勝手に思ってる)ライバルにんにんにクールに「ファイト。」と声をかけられつつ抜きさられる

もう自分は届かなそうだから、35km手前の対岸へ渡る岩野橋たもとのエイドで、腿と脹脛のハリを抑えつけるべくコールドスプレーでゴン攻め、しつつ喝を入れ、橋を渡り始める。
…が、橋の途中まで来たところで、ついにビビーン!(ホントにこんな感じだった)て感じで両脚同時に攣りました。

結局、ここで攣りが収まるまで端で座り込み。10~15分くらい止まってたかな。
「DNF」の3文字も浮かびました。正直なところ、スタッフの方が近くにいて、声をかけられていたらリタイアしていたかも。
結局、35kmのラップは脅威の[26’00"/km]!がウォッチに記録されました。

岩野橋。当分忘れられない名前になりそう。なんとか忘れられるように来年リベンジしたい


過ちは、過信と不安と色気と無知

やっぱりマラソンはメンタルスポーツ、というかスポーツはメンタルですね。
レース前は、元気なうちに頑張り過ぎず5'35~40くらいで30kmあたりまで行ければ…とか思ってたけど、すぐそこに見える🥕ならぬ金の風船に心揺さぶられました。途中、同じ目標のにんにんとも「これ、ちょっと速いよね?」なんて話してたのに、
🥕を追った私。そこで抑えたにんにん。結果、2人はゴール時間で1時間弱の差がつきました。まあもともとの力の差もあったけど。

自分に矢印向けると、そこまでの練習の順調さからの過信があったと思います。そして、レース前1週間の足裏痛や腿こりがあり、行けるうちに行っておこう、と不安を打ち消そうとした、いや、色気だしたこと。
最大な過ちは、無知。
ペースランナーはグロスで走る
ってことを理解してなかった。スタート4分のロスあるから、そりゃ5~6秒/km早いラップで走るよね。バカでした。

でも、言いかえるとそんなギリギリな力量だったのも事実。40㎞くらいで攣ってるくらいなら言う資格あるかもだけど、32kmだからねー。反省しかない

岩野橋。忘れられなさそうな名前(トラウマ?)

結局、35kmの岩野橋での両脚攣りから15分くらいをかけて復活したものの、走ろうとすると2~3歩で激痛。なので後は歩いて様子をみる戦略へ転換。てかそれしかなかった

歩いてみると、それはそれで目に留まるものがあります。河川敷に咲く真っ黄色の菜の花がキレイだった悪いことばかりじゃないな、と無理やりポジりました(笑)
そんな中、あのMCさんにやられましたよ、抜かれ際に「OneSou1!」って囁かれるの😢

OneSou1、って囁かれた数秒後。走り去る12番

でも、なんとか制限時間の5時間にギリギリでゴール。個人的には、どうにかこうにかフルを始めて6走無敗(=DNF無し)継続はできました。

38kmあたり?から一緒に歩いてくれた賢さんに感謝。賢さんが言うには、彼もいっぱいいっぱいで気持ち折れそうで、歩いてた私を見つけた時はなんかオアシス的な感じだった模様😅 
共に気持ち的に支え合ってた感じでした。

こんな記録。32kmまではまだ可能性あったけど、大きいあと10km。最後1kmだけ走りました
Lap35、脅威の26'00"/km


温かい沿道

そんなわけで反省がたんまり残る3回目の長野マラソンになってしまいましたが、楽しめましたよ。
なにはともあれ、沿道の応援のみなさん。
地元のサッカーチームのサポさんも何人か。35kmあたりの徒歩モードの時に岩野橋にいたそこそこ人生の先輩なサポさんには「EPSONがんばれ!」「山雅がんばれ!」に続いて「信州ダービー来いよー!」とも(笑) 気持ちに余裕あれば「チケット取れればね!もっとアウェイ拡げてください」とか言い返したかったな😅

こんな声を出しにくい・密になりたくない時でも励ましてくれる地元の人たち。改めて思う、24年間の伝統のホスピタリティ
今日だけは言います。
「長野市ありがとう、大好き💕
しかしなぜこの温かさ、熱があそこになかなか注がれないんだろうね…

がねさんの超健闘

2年半前までは、同じ目標を追いつつも常に数歩先をいく、届きそうで届かない存在のがねさん。しかし突然の難病発症、からの退院から約2年。からの自分の気持ちを強烈にドライブしたであろう長野マラソンエントリー、そして出走。まだまだフルを走れるところまで戻ってはいないけど、17km(Mウェーブ)まで帆を進めた!すげえ!多分ここまでのMaxは10kmだったと思ったのに、予想外の力を魅せてくれました!

そしてこれからのカムバックストーリーの真っ最中の努力のプロセスを見せてもらえて、たまに共にご一緒させてもらえる。
今、彼は私がマラソンを始めた年齢。僭越ながら、5年でこんくらいは積めるよ、と少しでも励ましになればいいなあ、なんてね。

高也の悲願達成

そして、"現在の"医学では治らない、一生付き合っていくと言われる難病を抱えながら、それでも自身を"主治医"として研究と実践をめっちゃ積み重ね、ついに市民ランナーの一大目標サブ3を掴み取った幼なじみの高也
でも、多分悲願とかなんてあいつ自身は思ってなくて、まだまだ通過点なんだろな。勝手に誇らしい😊

40年ぶりの再会

この日はさらにトピックが。長野市在住の中学時代の親友、正弘と卒業以来の再会(だったよな?)…40年ぶり?
ただあれだけの走者で混雑だと、そしてマスクも手伝って、いるとわかってても結構気づかないもの。場所とか、道の右か左か(これ重要!)、そして服装とか聞いてなかったら会えなかったなー。
FBをはじめとするSNSありがとう😊

また、沿道にはいつも観に来てくれる長野市在住の義姉も来てくれました。けどやはり直前まで誰だかわからない…😷
でも後日、長野のケーブルTVでやってたゴールシーンの生中継番組の録画BDを送ってくれました。お友達ともシェア出来て(再生してるTVをスマホ動画ってのだけど(笑))とてもありがたかったー😆

次へ、自分はどこへ向かう?

そんなこんなでたくさんの心揺さぶる、震わせる事があった長野マラソン。
自分自身としては、出来るかも知れないと少しの期待を持っていた目標には達することは出来なかったけど、具体的に欠けていることとかをいくつか感じる事ができた気がします。

これまで、故障よりも疲労による気力の低下、つまり“先に心が折れ”ていましたが、今回は 走る気があるのに走れない(走ると痛みが出る)という、はじめての経験でした。
はぁはぁと息苦しくてもう走れない、というのも現れなかった。まあ、”走った"のは35kmで7kmは歩いたせいだったかも。これは、これまでの練習の積み重ねにより、筋力・心肺・精神が 身体全体を上回ってきた とポジティブに捉えられなくもないかな、と。
欠けていたのは、クレバーさ(事前準備・状況判断力・臨機応変さ)と、より一層の筋力・心肺機能だったのかな。

今回の手の痺れは、気温上昇による塩分・ミネラル不足だったのかも。塩系のタブレットは持っていたものの、遅かったかも。攣り対策は「コムレケアゼリー」をスタート時点で飲んだものの、それだけじゃ足んなかった。
水分も警戒してほぼすべてのエイドで摂っていたけど、25kmあたりではもうおなか一杯状態に。って事は、体内に取り込むのは現場だけでは難しい。数日前からの「カーボローディング」だけでなく「ウォーターローディング」も意識していかんと。

あとペースランナーに行けるとこまでついていこう作戦。それ自体はおかしくないけど、こちらの狙いはネット。あちらはグロスだと気づかなかったのは愚かだった。
それでも途中で「なんか速くね?」って感じてたくせに、自分の最初の想定「5'40~35"/kmで行けるとこまで行ってみる」を超え🥕追って5'30~35"/kmで行っちゃったのは、言い換えると自分の戦略に自信を持ってなかった。”事前準備”が出来てなかった、と言える。

これからは、加齢による衰えや怪我のリスクとの戦って、いかにそれらの力を伸ばしていけるかどうか、です。

次のフル予定は秋の松本マラソン。季節こそ11/13とよさげな時期にズレたものの、コースが厳しすぎてPBを狙うのはちょっと難しい。
現実的には1年後、この長野でのリベンジを果たしたい。

今回、長い時間を過ごした岩野橋。ここを颯爽と駆け抜け、たもとのサポおじちゃんの応援を受けて「ありがとう!OneSou1!☝️って返してやりたい!
その夢に向けて、地道に積み重ねを続けていきたいと思います。

長々とここまで読んでいただいた方がいらっしゃったら、ありがとうございました。

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