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ニュートン神話(1)リンゴが落ちて重力を発見した?

結局のところ、力についての認識が深化し新しい発展の道が開かれたのは、機械論の構想したような力の伝搬を再現するモデルを考案することによってではなく、ましてや絶対的に正しい第一原理から力の本質を演繹することでもなく、さしあたって力の本質や力の原因をめぐる問いを棚上げにし、実験と観察ーーとりわけ精密な測定ーーによって力の数学的な法則を確定することにおいてであった。その最終段階は、重力についてはフックとニュートンによって、磁力についてはマイヤーとクーロンによって遂行されたのであり、ここに近代物理学で言う力の認識がはじまる。

山本義隆『磁力と重量の歴史3』pp.936-7


「ニュートンは、実家の農園でリンゴが木から落ちるのを見て重力を発見した」というのは、知らない人でも知っている有名な話でしょう。わたしはリンゴの産地である青森県に住んでいるのですが、青森県板柳町のふるさとセンターには、「ニュートンのリンゴの木」があります(ニュートンの実家にあった木を接ぎ木で殖やしたものらしく、世界各地にあるらしいです)。そのリンゴはフラワー・オブ・ケントという品種で、フジをはじめとする現代の品種と比べると、とても落果しやすかったらしい。(現代の品種は落下しにくいけれど、ときどき実が大きくなったころに強風の台風が来れば、たくさんのリンゴが落下して被害が出ることはあります。記事トップに掲げた写真は、青森県立図書館に植えられているリンゴです。ものすごく大きな実がなっているけど、簡単には落ちません!(笑))

というわけで、知らない人でも知っているリンゴのエピソードですが、17世紀の科学状況は、そんな牧歌的なものではなかったのですよ。冒頭に、山本義隆さんの『磁力と重力の歴史』から引用しましたが、実験の精密化を背景とした数理化の段階にあり、科学者コミュニティーの中でしのぎをけずる状況でした。それなのに、なんでそんな牧歌的な話が生まれ、ここまで広く普及することになったのでしょうか? 

で、長い話をかいつまんで言うと、ニュートンのリンゴのエピソードは、ヴォルテールがイギリスを訪れたときに、ニュートンの姪から聞いた話として広めたもののようです(と言ってしまいます。これに関しても誰がどう言ったという詳しい調査はあるようですが、やはり時期的にはヴォルテールが早かったようですし、影響力としては大きいので)。

このエピソードの信憑性について意見を求められたガウスは、次のように言ったそうです。(ダニングトン著『科学の王者 ガウスの生涯』東京図書刊、銀林浩・小島穀男・田中勇訳、P.228)

一人のまぬけて早合点の男がニュートンのところにやって来て、どうやってこの偉大な発見に到達したのかとたずねた。ニュートンは、自分の前にいる男はどういう男か知っていて、早くこの男を追い払いたいと考えたので、りんごが自分の鼻先に落ちてきたからだと答えた。その男はすっかり満足して立ち去った。

ガウスがこんな言い方をしたのも無理はないでしょう。ニュートンの『プリンキピア』を高く評価し、ニュートンの研究・発表スタイルを理想として Pauca sed Matura(少数なれど熟したり)を座右の銘にしたガウスであればこそ、重力の問題はリンゴが落ちてどうこうなる話ではないことに、議論の余地はなかったのでしょう。

リンゴのエピソードは強力なイメージ喚起力をもって広く流布していますが、実は、当時の科学はそんなにのんびりした状況ではなかった。山本義隆著『磁力と重力の発見3』には、そんな当時の状況が、かなり具体的にまとまっている部分があるので、ちょっと長いですが引用しておきます。

 万有引力発見の歴史において、フックは万有引力の逆二乗法則発見の先取権をめぐってニュートンと熾烈な論争を展開したことで知られている。しかし中心物体からのなんらかの物理的影響ないし作用が等方的に四方八方に広がるとき、その強度が距離の二乗に反比例して減少するであろうことは、その頃にはひろく意識されていた。すでに一六四五年にはフランスのイスマイル・ブリオは、ケプラーが二次元で考えた「流出の法則」式を三次元に拡張して逆二乗の力の法則を得ていた。またウィリアム・ペティは一六七四年に音の強さは音源からの距離の二乗に反比例して減衰し、また離れた距離からのローソクで同じ明るさを得るにはローソクの数を距離の二乗に比例して増す必要があることを記している。それゆえ、現時点から見てより重要なのは、逆二乗法則発見のプライオリティではなく、むしろフックが惑星および彗星の軌道運動にたいする新しい見方を提起し、動力学的に有効な解析方法を提唱したことにある。ニュートンが逆二乗法則を厳密に導くことに成功したのは、実はこのフックの考案した方法にのっとってであった。

山本義隆『磁力と重力の発見3』p.848

ここに書かれている通り、すでにケプラーは逆一乗の法則を提案していた(三次元で考えるべきところを二次元で考えたため、ディメンションがずれたけれど)。

余談ながら、数学で使われる「ベクトル」という言葉は、生化学の人たちなどが「ベクター」と言っているものと同じで、元々はラテン語で「運ぶ者」という意味です。なんでこれが「運ぶ者」なのかというと、太陽から惑星に向かって車輪のヤのようなものが出ていて、それが惑星を軌道に沿って「運ぶ」から。これがベクトルのもともとのの使われ方だったのでした。

惑星がそのように「運ばれる」と考えたのでは、統一的な重力理解には到りません。現代のわれわれがよく知っている、「慣性による直線運動と重力による落下運動の合成」という考え方は、フックが打ち出したもので、これがニュートンによる統一的重力解析の基礎となったのです。


上記引用のような時代の状況を知れば、「ニュートンはジグソーパズルの最後のピースをはめただけ」と言われるのもうなずけます(その最後のピースをはめるというのが、大仕事だったのですが)。リンゴのエピソードがこれほどまでの有名なのは(知らない人でも知っているよね!)、やはり、ヴォルテールの影響力が大きかったからでしょう。

とはいえ、ヴォルテール自身は、ガウスの「解釈」に登場する男ほどマヌケではなく、当時としては有力な自然哲学者で、機械論(=遠隔作用を認めない)が支配的だった大陸にニュートン理論を広めるうえで、大きな役割を果たしました。ちなみに、プリンキピアを最初に仏訳したのは、ヴォルテールの愛人(あのヴォルテールを振り回した――支えたとも言われる――美貌の才媛)シャトレ公爵夫人でした。


今後、みなさんがニュートンのりんごのエピソードを口にするときは、ヴォルテールの顔でも思い浮かべながら、にんまりして(あるいは多少は当時の科学状況に言及して)いただければ…..


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