珍しい苗字

 珍しい苗字をしている。

 電話で問い合わせをする際、本人確認のためにフルネームを求められる。大体1回で聞き取ってくれない。「…もう一度よろしいですか?」だ。この「…」の長さで私はうんざりするようになった。

 店の順番待ちのために苗字を書く時、店員さんが困りながら読み上げて周りの人がこちらを見るのが嫌で母の旧姓を使ったり、一緒にいる友人の名前を書いたりする。

 SNSの名前はLINE以外本名を避け続けている。一発でバレるからだ。鍵をかけているインスタグラムももじった名前をつけている。私も「kasumi_arimura」みたいにしたい。大学時代のバイト先の生徒に見つかる方が嫌だ。ここで私が特定できてしまった人は良い味方でいてください。

 中学生の時、上履きに苗字を記名していた。
 上履きを脱いで靴箱に入れるタイプの図書館だった。入学して間もない頃に、話したことのない別クラスの子と共通の友人と3人で行った。帰りに別クラスの子に苗字を聞かれた。名乗ると、「苗字か!上履きに書いてあったからそれが好きなのかと思った!」と言われた。活動家と間違われるところだった。

 苗字がどうやら珍しいと認識したのは年長の頃だった。母と母の旧姓について話していたと思う。母が「あまりいないだろう」と言っていたのをぼんやり聞いていた。

 この苗字での恩恵を感じたのは歳を少し重ねてからだ。高齢の方は大体「いままで会ったことないわ〜」と言ってくれてスムーズに話に入れる。私は知らないのに
「あの〇〇さんですね!」と知っていてくれる人もいる。コミュニケーション能力がないとは言わないが特別優れているわけではない私にとって、こんなに楽なきっかけはない。「本当に苗字なんですね」と感心してくれる人もいる。あだ名はだいたい苗字由来。中身がたいしたことなくても、印象をつけやすいというのはとても便利だ。

 しかし自分で自分の生計を立てる歳になってから「ものごころ」がつき、不安が出てきた。苗字の影響は良いとは限らないことに気づいた。
 例えば父母はまだ仕事をしている歳で、まあまあ車が必要な場所に住んでいる。もしふたりが年老いて不注意散漫になり人を轢いてしまったら、「あの〇〇さん」一族の私は今までの知り合いを捨てなければならない。私だって過失でも犯罪を起こしてしまったら「あの〇〇さん」を生み出してしまう。少ないのに親戚付き合いが希薄で、正直この苗字を持った親戚がどれくらいいるのかも把握していない。会ったこともない親戚が犯罪者になっただけで、今の生活をリセットしなければならなくなる。2、3ヶ月に1回は自分の中の議題として上がる。

 私が結婚して苗字を変えてしまったらそのままこの苗字はおそらく滅びる。でも婿を取るほどの家では全くない。財産もない。ただ全国的に珍しい苗字というだけである。神社のお家でもないしお寺でもない。残す必要は全くない。

 ただ、私の一部が消えてしまう。
 確かにただ苗字が珍しいだけの人間かと言われると苦しい。しかし、頼ってきたコミュニケーション武器が使えなくなる。矮小な心の中での自負が消える。内臓を取り除いた経験はないが、内臓を一部なくすくらい大きな出来事かもしれない。今までの人生において濃い期間を支えてきた支柱をなくす。では、なくしても立っていられるのか。相手の一度も使ったことのない柱でバランスが取れるのか。フルネームの半分を失う。聞かれないと表に出ない。なかったことになる。ここら辺は結婚して改姓した人の考えに被っているところがあるのではないか。苗字に実績が紐づいている自営業や研究者だと尚更だろう。と私は思う。あと幼い私には事実婚の理解が不足していたなと今なら思う。
 今のところ結婚して改姓する予定はないのが救いだ。

 書いてみたけど本当に文は難しいな。
 論理の飛躍をする場所にしたい。

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