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どうでもいい思考回路

     (この棒線の中飛ばした方が手っ取り早いです。)

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かつての親友の特徴には共通する部分がいくつかある。

それらは自分との相性を示しているかもしれない。

まず、大まかにふたつに分ける。
表面的または薄い関係か、信頼度が高く深い関係か。
これに沿って思い返す。

前者の方は大半の友人がそうだった。
お互いに奥深い趣味や人格までは知らない。
大概、他に自分より遥かに仲が良い人が複数人いて
お互いの優先順位的には中から下。

後者は指で数えられるぐらいか、印象的というか
一種の恋愛感情のような情熱さ。
または長期に亘る関係。人間関係の最上層、
優先順位の枠組みに囚われない、絶対的存在。
 
要するに友人と親友、知り合いと友人。
しかし当然、このように二分化するのは難しい。

中間が存在する。
それもなかなかに仲が良かったりする。
まあ、それでも後者の方には確実な友情がある。

中間というのはいわば友達、集団と言える。
集団ならたとえ一人一人(の関係性)が弱かろうが
お互い似たもの同士として生活することが出来る。
そしてその中の個々にも一応中間として捉えることが出来る。

しかし、後者は個々だ。
大抵一人のみに強い信頼を感じる。
これは確実に親友だ。
ただ残念なことにそれぞれに
仲良くする、関わる期間があった。
短くて一年、長くて九年。ぐらいだったか。
その短い範囲を決めるのが難しい。
1週間くらいの人もいれば、
一ヶ月や半年ぐらいの人もざらにいる。
なので、出会った当初の情熱的な感情の範囲を
自分は半年までと決めている。
これは何処かで齧った心理学による、
出会って半年で殆どの人間関係は構築されるっていう
理論(信憑性は分からない)を基に考えた。
             
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そして歴代の親友達について考える。
彼らになにか共通するものは無いだろうか。
そんなことを思っているとある考えが頭によぎる。

万物流転、諸行無常。
つまり、環境や時間は常に変化し続けているのだから
時それぞれに関わる友人の特徴なんて不変な訳が無い。共通点を見つけたって、
それを基に相性を見つけるとか、

" 本当の自分を見つけるために自分探ししまーす、
海外行っちゃいまーす "

って言ってるのとまじで変わらない。
とてつもなく時間の無駄だ。こんなことを今さっきまで考えてたなんて。はい、これで無茶苦茶だ、今まで考えてた友達の区別も全て。本当にどうでもいい。 
時間の無駄だったなあ。はい終わり。

これが、先週の夜中に考えていたことです。
自分の思考回路って大抵はこうです。頑張って考えを
編み出しても大半がどうでもいいってなっちゃいます。
ただ、それは放棄したと言うより、いや放棄しました。

どうでもいいという言葉は、私にとって救いの言葉でもあり、毒でもあります。

例えば、悪口を言われたりイジられたという経験をして
深く考え込みます。何故この人はこんなことを言うの?
人の気持ち考えられないの?人を不快な気持ちにさせて何が楽しいの?

といった自らの問いに対して何度も何度も考え直して、
人の気持ちを考える、道徳を持つということをすれば 
お互いに快く過ごせる。しかし、現実はそんなものでは無い。お互いの気持ちを考えるなんて、その人の立場でなければ完全に分かるわけが無い。そして立場に立ったことの無い人は、その人の気持ちなんて考えない。

説得したって伝わらない。ああ、めんどくさ。
どうでもいい。自分だけが都合のいい生活を目指そう。

このモヤモヤを解消することは出来たけど、結論が出ない。どうでもいい、無関心になることで自己中心的な考えに陥る。

本当にこれでいいのか。
自分はこのやるせない気持ちが嫌いでしょうがない。
なので、普段から読書をする。小説とかじゃなくて
論述、エッセイ、哲学とか。答えがありそう、自分に
考える力と広い視野を与えてくれるという希望を抱えながらただひたすらに読んでいる。
果たしてこれが自分にとって良いことなのか判らない。

ただ、気持ちを埋めたくて、納得したくて読んでいる。

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