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運命の恋びと

万物流転、Panta Rhei。
ヘラクトレスが唱えた哲学。
この世の全ては、時の流れによって、止まることなく
移り変わっていくという言葉である。

数年前から意識し始めたと思う。
諸行無常という言葉も同じような意味を持つ。
自分はこの言葉が好きで、日頃から無意識に考えている。

この哲学を学んで、皆はどのように解釈する?
それで、どうやって生活に落とし込む?
哲学の大半は陳腐だと聞いたことがある。
現代社会では当たり前のことだったり、時代背景が全く違うもんで日常使いに欠けるものだったり。
この万物流転だって、確かに言われてみれば至極当然のことだ。

自分も以前までこの言葉に対して当たり前と感じ、特に気にかけもしなかった。それでも、読書をしているとよくこの哲学を綴っているものが多い。


万物流転は、まさにすべての事柄が変わるということ。
周りの環境も、身の回りの物体も、自分でさえも。

人間は体だけでもない、精神や性格さえもすべてだ。
明日の自分は昨日の自分とは違う存在だ。周りの皆も、全てが時が刻まれるごとに変わっていく。
半年前初めて出会ったあの人の印象も、5年前好きだった趣味も。同じだとしても、性質が変わっている。あの時と同じ感覚は永遠に取り戻すことはできない。

人間は性同一性なんかもっちゃいないと考えている。
そんなものが何年も維持され続けられているのならそれは人間じゃない。現代社会や教育で誇示される" 個性 "に囚われる必要は無いと思う。周りや環境がどうだろうが、自分がどうだろうが、時に流されてしまえばいい。

運命という言葉も、万物流転に近しいものがある。
人生に起こりうるすべての巡り合いというのは、万物流転によって引き起こされる。 
運命と聞くと、スピリチュアル系を想像するかもしれないが、自分は運命という存在を信じている。

今までの過去もこれからの未来も全て運命によって決められていて、それに伴う万物流転を止めることは出来ない。運命の流れによって人は進んでいる。

こう考えると、とても心が安らぐ。いつも運命は自分のそばにいて、進むべき道を示してくれる。これから巡り会う人々とも運命によって惹きつけられる。
美しく、情熱的な存在。
運命というのは、人が作った概念で実物みたいなものは無いけども、宗教や占いでもよく引用される。それほどに、人々に道しるべを与えて希望を持つことができる。

しかし、それでも自分の日常生活が全て改善されて毎日幸せに過ごせる訳ではない。運命なんて言っておきながら、自分は未だに厭人気味だし、世の中理不尽なことだらけで鬱憤する。

それはそれとして、その現状が永遠に続くということはない。今たまたまそうなだけ。これからも続くかもしれないけど、運命に身を任せることが大事だと思う。勿論自分の将来の為に、時には努力も必要だけど深く考えすぎないことも念に置いておく。

話は変わるけど、自分は趣味で作曲をしている。最近は色々忙しくてあまり作れていないけど。ジャンルはよくわかんないけど、ゲーム曲っぽいと言われる。あんまり(ゲーム曲を)聴いたことがないんだけど。


曲を作るにあたって、最初にテーマを決める。今は2個のアルバムしかないけど、夕方の放課後帰りだとか、駅のすこし都心的な雰囲気とか、場所と環境を決めて作ったりする。

それらは意識して作るけど、もうひとつ無意識に曲調に取り入れている要素もある。それはさっき述べた万物流転や運命について。それを無意識に曲に表している。

自分が時間を置いて自身の曲を聴いてみると、なんというか全体的に少し暗い印象があると感じる。詩的なメロディとも言いたいけど、なんだか切ないという雰囲気が漂っている。
本来はエモい曲を作りたいと考えていたけど、こんな曲になってしまった。でも、我ながらに結構好きだったりする。意外と自分の曲でハマってしまう。

もう何ヶ月も前に作ったから、もう今の自分ではそれらを再現することは不可能に近い。曲を作るといっても、たまたま見つけた電子音を組み合わせて作っただけに過ぎない。運命がそう定めたともいえる。

話が逸れたけど、人生は色々な事象が噛み合わさって運命として自分の身に降りかかる。今と同じ環境も人間関係もいつまで続くかも分からないし、全てが今までと同じように振る舞うことは出来ない。

だから、過去に囚われ続けたり、自分を探し求めたりすることばかりに気を配らずに運命に流されることも人生の醍醐味だと思う。みんな、運命の恋びとだからね。






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