プロジェクト・新宿

質問内容

①あなたの名前は何ですか?
②その名前の由来は何ですか?
③それはあなたの本当の名前ですか?

3月某日、私は新宿駅東口のライオン広場の前に降り立った。スーツケース生活期間中(詳しくは私の記事をご覧いただきたい)なので、もはや相棒となった黄色いスーツケースと一緒だ。
私はその広場の中心に陣取り、持っていたノートに「アンケート」と大きく書いた。そして、それが通行人に見えるように持つ。
「アンケートやってーまーす、ご協力お願いしまーす」
私は通行人の一人ひとりの顔を見ながら、ひたすらそう呼びかけ続けた。
人が通り過ぎるのは意外と一瞬だ。
私が相手を見る。相手はこちらに目も合わせず、そそくさと通り過ぎる。遠くにいる時点で私の存在に気付いているから、はなからシカトを決め込んでいるのだ。もちろん目を合わせてくれる人もいるが、それも一瞬だ。すぐ目をそらす。
何人、何十人、何百人もの顔が流れていく。
こうして見ると、同じ顔の人なんて全然いないように感じる。髪型や着ている服など、部分的に一致するところはあるかもしれないが、人は一つの要素で構成されるものではない。身にまとう雰囲気など、言語化できない領域まで含めてしまえば、似ている人すら多くはない。

あまりに素通りされて手ごたえがないので、少し呼びかけを変えてみた。
「こんにちわー、簡単なアンケートでーす、お願いしまーす」
挨拶から始めたら、向こうも返してくれるのでは、という思惑だ。
しかし、なかなかそうはうまくいかない。テレビの取材だったらこんなに苦労していないはずだから、テレビの引力はすごい。一般人がしている取材に答えてくれる人はなかなかいないものだ。
…いやそういうプロジェクトじゃないんだけど!始まる前から結構詰んでない?!
声を出し続けて、人ごみにもまれ続けて、かなり疲れが溜まってきた。
始めてから何分くらい経っただろうかと時間を見ると、まさかのたった15分。信じられない。もうやめたい…。

結局1時間やって、答えてくれたのは二人だった。ありがとう。
でも、これじゃ企画倒れだ…。
「今日は疲れたからもう帰ろう」
と、私は荷物をまとめはじめた。

思えば、私にとって最初の新宿に関する思い出は、美術予備校かもしれない。高校2年生の時だっただろうか。私は美大受験を志し、親を説得して夏期講習から新宿にある美術予備校通い始めていた。
家から新宿までは一時間弱かかり、暑い中毎日通ったことを思い出す。
それまで絵をやってきていたわけではない当時の私にとって、すべてのことが新鮮で楽しかった。デッサンは、1枚目はもう今となっては目も当てられないほどのクオリティだが、枚数を重ねるうちに自分でも上手くなっていくのが感じられたし、色彩構成も、鮮やかな絵の具が自分の思うままに紙の上に広がっていくことが、私にはどうしようもないほど面白いと思えた。
しかし今振り返ると、私が面白いと思ったのは、『絵を描くこと』そのものではなく、『新しいことを身につけること』だった。
始めたての頃はあんなに面白いと思っていたデッサンも、そこそこ描けるようになると(とはいってもまだ合格には程遠いレベルだったが)、めんどくさいと思ってしまう自分がいたし、色彩構成も、自分がいかにときめくかではなく、どうしたら評価してもらえるかという思考に陥っていた。
この段階になると、私は絵を描くことをそれほど面白いとは思えなくなっていた。私は迷い始めていた。
まず、私に絵の才能がないことは明らかだ。でも、絵が本当に好きなら、努力でそれをカバーすることができる。でも、私は本当に絵が好きなのだろうか?現役で受からないとしても、受験を続けられるほど私は絵が描きたいのだろうか?
自分に問いかけ続ける毎日だった。
私が最後に下した決断は、美大受験をやめ、9月からは一般受験に専念するというものだった。
夏休み最後の日、私は学校の美術室に向かった。予備校に通い始めたのは夏期講習からだったが、その前から私は、学校の美術の先生にデッサンを少し教えてもらったり、相談に乗ってもらったりしていたのだ。
私は、「最後にここで1枚デッサンを描きたい」と伝えた。
しかし、先生は描かせてくれなかった。そんな時間があるなら勉強した方がいい、今の時期から一般受験の勉強をするんだったら時間が惜しいはずだ、という理由だった。
私は結局、「これで終わりにしよう」という1枚を描くことができなかった。その日は悔しくて悔しくて、泣きながら勉強した。
でもそのおかげか、「絶対に受かってやる」と固く決意することができたのだった。

当時の私は、YOASOBIの「群青」をよく聴いては泣いていた。そう、あの美大受験をテーマにした漫画『ブルーピリオド』にインスパイアされた歌だ。
私は、『ブルーピリオド』に出会う前から美大受験をしたいと思っていたから、その漫画がきっかけで美大受験を志したわけではないのだが、どうしても刺さるのである。

嗚呼 何枚でも ほら何枚でも
自信がないから描いてきたんだよ
嗚呼 何枚でも ほら何枚でも
積み上げてきたことが武器になる
周りを見たって誰と比べたって
僕にしかできないことはなんだ
今でも自信なんかない それでも

https://youtu.be/Y4nEEZwckuU

今思い返せば、アイデンティティ形成中の若者にありがちな経験だったなと、我ながら思う。
自分にしかないものを求めて、ひたむきに頑張っていたわけである。
学校の美術の先生もそれをわかっていたのだろう。もしかしたら、わりとよくある話なのかもしれない。先生は「一般受験じゃなくて美大受験がしたい!」と相談され、そして挫折する様子を見届けたことが今まであったのだろうかと思ってしまうほどだ。そして私も、そんなよくある若者のひとりだった。

現在の新宿には、当時はまだいなかったプロジェクションマッピングの飛び出す猫がいる。

私はこの日、人々に揉まれながら、飛び出す猫に見守られながら、企画倒れのプロジェクトを行った。「プロジェクト」と呼んでいるほどだから、もしかしたらまだアート活動に未練があるのかもしれない。もしかしたらそのうちインスタレーション作品でも作り始めてしまうかもしれない。
そのたびに私は、自分が美大受験をしなかったことを思い返すだろう。しかし、不思議と嫌な感じはしない。匂いで記憶が蘇るというマドレーヌ現象があるが、私が今、美術室のにおいを嗅いでも、鼻をつまみたくはならないだろう。
それは私が、この経験をきちんと消化できているからに違いない。
当時のあの経験があったから今の私がいるのだと、仮にも思えているからだ。
この時、この経験は、新宿にまつわる数ある思い出の一つとして還元されるのである。
新宿にまつわる思い出は、他にもいくつかあるのだが、それを語るのはまた別の機会にするとして、まずは、この『プロジェクト・新宿』をブラッシュアップしなくては…。

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