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閉じこもって生きていた日々

ほとんどランプの明かりだけがある十畳くらいの 穴倉みたいなジャズ喫茶に、日がな通って閉じこもっていた頃、 ぼくの精神は宇宙空間の中にあった。 自我も主体もなくおそらくは禅のような境地にあったと思う。 現実に生きている世界の方で死ぬ覚悟を決めて、 幽霊というにはカジュアルに気だるいが、それほど衰弱はなく元気というほどでもないが、それでも生き生きと毎日を生きていたと思う。 すでに19歳にはなっていた。 あれから長い長い時間が過ぎて今があるが あの頃と同じこころに戻ることができる。

ぼくが受験生だったころ
6月の空が低く、灰色に街路が引かれていた
二人の大学生が通り過ぎていくのを
屋根裏部屋の小さな窓から見送っていた
法科と工科大学を選択して約束されたエリートの道を
余裕を振りまきながら知的に歩いていた
所々の電柱には政治集会のビラが貼られていた
どこかの下宿部屋からは
バッハの無伴奏パルティータのもの悲しい旋律が
通りに漏れ出ていた
アスファルトの生あたかい温もりが
庶民の沈黙を厚い層にして感じさせていた
テレビにも週刊誌にも活動家崩れが棲んでいた
こんな田舎に解放区なんかあるはずもないが
受験生が夜なか起きているあいだは
闇は地球のあちこちからの低い声に同調していた

いつの間にかのっぺりとした日々が繰り返されるようになっていた。シェークスピアの「真夏の夜の夢」というタイトルにうっとりしていつか読もうとしてた本は、そのまま閉じられたままだ。あの頃暑い夜は野外ジャズ祭をやっていて、彼女を誘って出かけたものだった。
白昼の白いコンクリートビルが、気だるげに若者が通り過ぎる道に濃い影を作っているような路地裏に、そのジャズ喫茶はあった。その店には髪の長い神秘的なお姉さんがアルバイトしていて、ぼくと顔なじみになっていた。店の中は狭い空間にランプ一つの照明で暗闇を演出していた。その狭さと暗さが心地よかった。ぼくたちは仲間だった。そこは大音量のジャズで溢れかえっていて言葉は必要なかった。どうしても伝えたいことがあったら、ほとんど体を寄せ合う必要があった。時々アルバイトのお姉さんがぼくのそばに来て囁いた。あなたは禁欲的だわ。 

生のクラシックコンサートに行けるような身分ではもちろんなかった。道端に置いてあった森永アイスクリームのベンチを勝手に拝借して、アイの所は「愛」に塗り替えて置いてあるような薄汚い美大生の下宿部屋で、バッハのシャコンヌが鳴り響いていたのは割と立派なオーディオ装置からだった。
壁には「パリコミューン100周年政治集会」のポスターが貼られていて、そのタイトルはランボーの詩から引用された語句で飾られていた。パリコミューンのキナ臭い噴煙の上がる蜂起空間とバッハの無伴奏パルティータは、モノクロ映画のワンシーンのように「似合って」いた。
その下宿部屋は小さな祝祭空間だった。それはぼくの心に重くて内臓的な疼きを沈殿させた。もう45年以上経っても忘れられない想い出になっている。

今日も暑かった。実を言うとぼくは暑いのは平気で、身体に力がみなぎってくる。ただしカラッとした暑さという条件はあるが。多分、夏休みの記憶も重なるのだと思うが、夏は開放的で自由の気風がする。
夏になると思い出す1枚の絵がある。ジョルジョ・デ・キリコの「Mystery and Melancholy of a Street」といういわゆる、形而上絵画である。

乾いた夏の「広場」に静寂が訪れている。気づいてみるとそこに迷い込んでいる。一瞬の時間のズレに嵌まり込んだ気がする。あまりにも暑いのでちょっと目眩がしたのかもしれない。ふと眠り込んでしまったのかもしれない。ヨーロッパでシュールレアリスムが運動として時代の雰囲気を席巻していた、という。大学の時、その時代の美術史に憧れを抱いていた時期があった。ぼくは、シュールレアリスムはヨーロッパの革命を夢の形で先駆けていたと考えていた頃だった、、、

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