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宣伝会議賞のこと①

キャチコピーの原体験

 はじめまして、私は広島に住む正真正銘のメガネ屋さんです。
しかも社内の広報などには1度も所属したことがなく、入社して20年、ずっと現場というか店頭で働いています。そんな私ですがひょんなことから宣伝会議賞に応募するようになり、この度ファイナリストになりました。

広告業界とは全く関係のない畑で生きている私が、ファイナリストになったことは奇跡としか言いようがありません。これをきっかけに先日贈賞式に参加して感じたことを、これまで宣伝会議賞に参加している理由を交えながらまとめてみたいと思います。

 そもそもなぜメガネ屋の私がキャッチコピーに興味を持ち宣伝会議賞に応募しているのか。単に興味があっただけでは理由になりません。よくよく自分で考えてみると、幼い時に見た2つのCMが私のキャッチコピーの原体験だったと思い出されます。

その2つのCMは
「くうねるあそぶ」と「目の付け所がシャープでしょ。」です。

「くうねるあそぶ」は私が小学生の時に見た日産セフィーロという車のCMです。井上陽水が「お元気ですか」と呼びかけるCMでした。これ、今も覚えています。「くうねるあそぶ」ということばがセフィーロという車種まで私に覚えさせています。

https://m.youtube.com/watch?v=sF-mK9N4XeQ

「目の付けどころがシャープでしょ。」はその名の通りシャープのCMで、CMの最後にいつもこのキャッチコピーが出ていました。シャープの家電は当時、他のメーカーにはない機能を搭載したものが多かったので、小学生の私は、「かっこいいな~、商品と合ってるな~」とませた感想をいだいていました。

https://m.youtube.com/watch?v=Z2n95TBF7y8

もちろん、九州の中でもかなり田舎の方で育った私がキャッチコピーということばや、コピーライターという職業があることを知ることはなく、進学で広島に行き大人になりメガネ屋さんに就職したわけです。

勘違い、そして勘違い

 そして、社会人になったある日の休憩時間に立ちよった本屋さんで偶然「宣伝会議」という雑誌を目にしました。中を見ると、第52回宣伝会議賞のことが書いてあり、軽い気持ちで3本応募しました。すると数か月後の結果発表で1本1次通過していたのです。これが勘違いの始まりでした。そこから3回応募しました。

第53回 0本
第54回 2本(1次通過)
第55回 0本

応募本数ですが最高で100本と決して多くありません。本業のメガネ屋もなかなか忙しく時間が割けないのです。

 第55回で0本だった時に、さすがに自分の勘違いに気づいて第56回は応募を辞めようかなと思いました。しかし、その年たまたま応募した「ブレーン」のC-1グランプリで準グランプリを獲得したのです。再び勘違いが始まります。全く予想していなかったので驚いたのですが、事務局から送られてきた賞品がTCCの原稿用紙だったことにも驚きました。周りに広告関係の知り合いが1人もいないのでこれが当たり前のことなのか、風変りなものなのかもわかりませんでした。
さらに、送られてきた用紙には「グランプリを取ると仲畑さんのサイン入り原稿用紙がもらえます。」と書いてありました。当時私は仲畑さんのことを詳しく知らなかったので調べてみると、私の原体験である「目の付けどころがシャープでしょ。」というキャッチコピーの生みの親であることを知りました。そしてこのサイトから「ほぼ日」にもハマっていくことになります。ここで糸井さんの「くうねるあそぶ」ともつながります。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 仲畑くんと糸井くん (1101.com)

C-1グランプリで再び勘違いをしてしまってからの成績は以下のとおりです。


第56回 1本(1次通過)
第57回 1本(1次通過)
第58回 1本(1次通過)
第59回 0本

33年越しの一等賞

そして、第60回、ファイナリストになりました。
戦績を見ていただけるとわかるように、きっと才能はありません。でもここまで応募を続けてこられたのはコピーを考えることが楽しかったからにほかなりません。そして毎年2月の上旬に宣伝会議の誌面で自分の名前を見つけた時は、誰かに褒められたような気分になります。

贈賞式にて、審査委員長の仲畑さんの挨拶にあった「ここにあるファイナリストはもう一等賞みたいなもんですよね。」という言葉は、私のキャッチコピーの原体験を作った人からの言葉なだけに感動しました。幼いころの思い出が33年の時を経てつながったことと、自分の考えた作品を、憧れの人から褒められる体験は、私の人生の中に置いてもよい思い出になったと思います。

つづく。




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