0525

まだ夕焼けにもならない17時に、町内チャイムで「夕焼け小焼け」が鳴りました。それを窓の外に聞きました。夕方のチャイムは、お久しぶりのことです。
5月25日、本日をもって、東京をはじめ残る1都3県の緊急事態宣言が解除されました。

まあ解除といっても僕は昨日と同じような今日です。
「ひゃっほーい自由だぜ!」とはならないなー。ただ社会は動き出します。止めていた歯車に油を差さないと、日本全部が錆びついて倒れてしまう。

町には人が増えて、その町には相変わらず、人を死に至らしめる(こともある)ウイルスが漂っている。僕らの目に見えない。治療薬やワクチンはまだ開発されていない。
これからは、むしろ本当に自分の身は自分で守らなければならないな、というような思いです。それでもどんなに気をつけたって運みたいなところもある・・・。


ただでさえ蒸し暑い今日に爽やかなのは、このコロナ日記・パラレル日記、そこに一人一人の毎日があることです。不肖、更新されるごとに逐一チェックしていた訳ではない・・・。はじめから読み返すと、一人一人まったく違う毎日を送っています。

コロナで気分が減退している日も、そうでない日も、だましだましやっている日もある。生活に明らかに影響が出ている人も、そうでない人も、社会に開く人も自らの内側に迫る人も、語りかける人も独白の人も自分の部屋の引き出しにしまう人もいる。

そして驚くほどに今日の僕はその日を忘れているのです。日記の裏側が、読みながら蘇ります。それで記録として冒頭から、解除といっても薄靄のかかった今日のことを書いておきました。ほんとは明るい話題にしたかったけれど、ごめんなさい。

それでこの「日記」というのがいい。僕の一日とすごく重なる日もあれば、遠く離れた日もある。
19日の日記に、「人は本来、こんなにも常に正解し続けなければ生きていけないような生き物だっただろうか?」とあります。18日には「文句なしの満点は存在しない。けれど自分なりの答えは必ず見つかる。」ともあります。

違う人が書きながらリンクしてるこの感じも面白いんですが、そう、日記には「正解」がないのがいいです。偏差値高めの有名大学に通う僕は、高校生まで「正解」に自分をはめていく日々でした。先生や試験の求める答えを的確に見抜いて当てる。
けれどそれではどこかがダメになってしまう気がこの頃しています。

読んでいるとたまに、他人の書いた日記の言葉が僕の体を通っていきます。どこまでも誰かの一日だから、頭で読まなくていい。それでも僕と誰とが日記を介して血が通ったときちょっとだけ高揚し、全然わからなかったときちょっとだけ興味が湧いたり湧かなかったりする。正解はありません。ただ一日があるだけ。それがどんなに可能性のあることか。

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