0509

 締め切りが間に合わないので電車の中で書いている。うちに着いて腰を落ち着けて練った方がいいのだけれど、明日も早いしすぐ寝てしまいそうなのでここで書く。これまで何度となく乗ってきた終電は、今日も変わらずどんよりと生ぬるい、不思議な共通意識:「あー終電だー」でもって各々のバランスをとっている。と言いつつ、実は対角線上にでふっと腰を下ろした中年男性のいびきが邪魔になってしょうがない。マイナスの意味でなくて、どうしたって気になってしまう。この車両にまばらに乗っている人影の中で、およそ誰一人彼を排除したいと考える終電の住人はいないだろう。ここに断絶はない。迷惑ではある、けれどまた彼が安心しきってガアガア寝ているのはいつもの落ち着きでもある。私にはそろそろ革靴を買い直した方がいい彼の、今日という一日がどんな光景だったかはわからない。きっと疲れたんだろうなあ。
 私の方は、案外大変ハッピーな気分で終電に乗っている。つい一週間前まで舞台をやっていて、そのメンバーで急遽飲むからと池袋に呼び出された。それで締め切りが間に合っていない。自己研鑽として満足のいく舞台などひとつもないが、おもしろいお芝居だったと思う。吉祥寺シアターという公共劇場でやった。あれほど設えのしっかりした、客席数のある劇場に立つのは初めてだった。舞台に立つという意味で、これまでのいくつもの公演と臨む気持ちは何も変わらない、と思いたい。しかし初舞台を踏んでからちょうど二年、ここまで来れたか。いやまだまだ、という気概が背中に走ったのも事実だ。
 共演者との関係というのは、公演が終わって一週間の時期がヤマだったりする。ほとんどの人に新しい舞台が控えていて、それぞれ別の現場に入っていく。小学生の時はあんなに鉛筆が宝物だったのに、中学生でシャーペンを覚えたら古くさくなって、そのシャーペンもボールペンが取って替わったように、私たちは新しい現場が一番大事になる。「またすぐ飲もうね!」と言いながらお互いに経験上そのことをわかっている。「友達」になることはない。どこまでも私たちの間には演劇がある。そのことをほくそ笑むくらい、これまでの稽古の時間で対話を重ねている。
 私は大学の卒業が控えているので、しばらく舞台をやらないつもりだ。とりあえず在学中に吉祥寺シアターまでいけた。これからどんな人生になるかわからない。けれどどうしたって表現を離れられないのだと、終電でたぎっている。

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