ねこやしきの全歴史⑤(起業編)

前回のあらすじ、

原発リスクから逃げるため、
大阪に一時避難していた僕は

世間も落ち着きを取り戻してきた頃
東京に帰還する。

------------------

そうして遂に、
友人と会社を立ち上げるのだが、


一体どんな会社をやったのかというと、


選んだ業種は広告。


もちろんインターンでの
過去の経験も相まって
業種の選定に時間はかからなかった。

過去に経験した中国輸入の失敗で、
(※②を参照)
結局、どんなにいいものを安く買えたとしても、


マーケティング能力、つまり
売り手に繋げることができない
=死活問題という事。


広報、プロモーションの大切さを
僕は知っていたので、
その領域を研究しようと決める。


ざっくり言えば、
広告主と、今でいう
インフルエンサーをつなぐ、
ブローカーみたいな事をしていた。


事業は思った以上に
とんとん拍子でうまくいく事となる。


ノーリスクに近いモデルだったのもあり、
案外資金繰りなどにも困ることなく、


月50万から100万くらいは簡単に手に入り
拍子抜けした印象がある。
(零細企業に変わりはないが)


だがそう簡単にうまくいき続けるほど
世の中は甘くない。


順風満帆かとおもいきや、
案の定、共同経営のパートナーとも
権利上の問題で諍いが起きる。


一体それは何故だったのか。


語るには、僕がそもそも抱いた夢の経緯から
話さないとならない。

少し堅苦しくなってきたが、
付き合ってくれると嬉しいです。

-------------------------------

僕の小学校のときの最初の夢は
「普通の人間」だった。


先生に「お前は今、妖怪かなんかなのかー?」
とからかわれた事をとても鮮明に覚えている。

ちなみに隣のH君は「富士山」と書いていた。
スケールが違った。でかい男である。


おそらくオーストラリアでの留学を経て
僕の価値観は大きく変わったんだと思う。


元々動物が大好きだったから
最初は獣医になりたかった。

でもグロいのがダメで
描いていたイメージと、
命を救う大変さとの
ギャップを知り諦めた。


その後、ネットで気が狂ったように
色々なものを調べているうちに、
アートやデザインが好きになった。


当初は安直に美大を目指したが、
毎日デッサンをするも、
究極に絵が下手だったので諦めた。


そのあとは派生して、
インダストリアルデザイナーという
「工業デザイン業をやってみたい!」
と思うようになった。

『ペンからロケットまでデザインする仕事』
という響きに心を惹かれたが、


デザイナーはきっと
会社から降ってきたものを
デザインするお仕事であって、


多分、
『自由に自分が作りたいものを作るのは
きっと難しいんじゃないかな?』

と直感で思った。


じゃあ
「好きなものを好きに作れる仕事ってなんだ?」


という問いに対して
「その会社を作る人」
すなわち経営者になればいいんだ!
という答えを導き出す。


が、以前パーティなどをやっていた時に、
色々な経営者と話す機会を通じて、
この考えは崩れ去ることとなる。


何故だか、みんな揃いもそろって、
株主のご機嫌取りをしているのだ。


中にはそうじゃない起業家もいたが、
悲しいかな
振り返ってみるとその人たちは
総じて過去の人となっている。


そにには僕の考えた理想の、
創造、イノベーションは無く、

たった30年ほどの小童が語るには、
早すぎるテーマな気もするが、

僕の未熟な経験則の中で、
これだけは断言できる。

「世の中、最強に自由なのは投資家だ」


この考えはいまだにブレていない。
世の資本家のトップは基本的に、
株式で形成されている。

例えば、
油田も印税もオーナーも何もかも一言でいえば、
権利である。権利に対して投資してきた人たちなのである。


投資家は別名エンジェルと呼ばれる。

数ある職業の中で、
他にそんな高尚な名前で呼ばれるものを僕は知らない。
偉そうな資本主義ゆえの命名だとすら思う。

(たしかにベンチャー起業家からしたら
天使なのだろうけど)


とはいえ、起業そのもの自体は
とても面白いものであった。

世にはシリアルアントレプレナーという言葉がある、
変な横文字ではなく和訳すると「連続起業家」だ。

要は何が言いたいかというと、

「やりたい事業を立ち上げ、
安定させたら投資フェイズに入り
それを繰り返していく。」
というのが僕の掲げる理想
であった。

--------------------------

話を戻して、

そもそもの口約束では、
共同経営する法人は
安定期に入ったら、

次の会社を始めるので
その際は権利料を貰い、
コンサルにまわる。
という契約を、

書面契約といして
結んでいなかったため
話がこじれたのである。

いまでこそ、
その人とは普通に仲良しだが、
リーダーは一人がベストだと学ぶ。
そして書面も大切。


そりゃあそうだ。船首は一つしかない。
舵のハンドルを二人で握っていたら
船の操縦は難しい。


その後、和解して会社は売却。

余ったお金でずっと夢だった、
世界一周を企てる。

まずは手始めに、
タイ、マレーシア、シンガポールなど、
バックパッカーとして、
東南アジアを周遊したのだが、

そこである事に気付く。
一人旅は確かに新しいものばかりで、
刺激的だし楽しい。

けど、何故かとにかく寂しかった

本来、
一人の時間でも全く苦痛がない性格なのだが、

人は新しい事を経験したとき、
どうしようもなく
人と共有したくなるものだと感じた。

旅の途中、
ずっとSNSで旅行記をレポートするが、
何故かむなしい気持ちになった。

そこで気づいたのは、

好きなことをしていても、
そこに分かり合える人がいないと、
本当の楽しみは味わえないんじゃないか?

という仮説。



そうして、世界一周を一時とりやめ帰国し、
満を持して新しい会社を立ち上げようとする。


自信満々で会社を興すも、
いやはや運命は数奇なもので、
面白いほどにズッコケる。
というより必然だったと思う。

気付けば、組織や人のつながりを
いつのまにか軽視してやってきたから
だと今はそう思う。


他にも失敗の理由は単純で、

初期投資の資金と、
部下を持ったことがないという
組織生成への不慣れ。

辛うじて負債などは作らずに済んだが、

今後は、
仲間を作る事をコンセプトに、

・資本となるお金ためること。
・リーダーシップを学び組織を作ること。
・顧客の表情が見えないパソコン仕事じゃないこと。

この条件を満たす仕事を探し、また再起しよう!と決意する。


そこで再浮上した職業がホストクラブ。
大阪ではあんだけ馬鹿にした職業だが、
いわば究極の接客業である。

まずは試しに知人の働く某グループで働く。
風鈴会館横のコリンズにある小さい箱で数日やるが、

公安か警察かなんかが来て怪しいと思い即刻やめる。
※いまは存在しないグループ。立川系。


そこでまた例の『中二病男』がやってくる。

片桐美雨である。

彼の誘いで、
池袋のマイナー店、A$X
に入店するのであった。

ようやく本章!ホスト編。
ちょっとダレてきたかな?

なんの取柄もない、その辺の男の子が、
歌舞伎町、屈指のグループで代表になるまでの流れを記します。

⑥ホスト編に続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?