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ゴールデン街酔夢譚~第四話~

(第三話はこちら)

はじめて入ったゴールデン街の店、嘉門で、店員のユミさんと常連客と思しきヒガシさん相手に、僕は自分の素性を語り始めた。24年前の藤堂課長の、いささか常軌を逸した激が、また脳裏に浮かぶ。

「いいか、蟹江、お前がお客さんのことを考えるなんて10年早い。まずは一人前の証券マンになれ。そのためには、会社の売り上げに貢献するんだ」

会社の売上を上げるには、手数料収入を確保するのが早道だ。そうなると、お客様の売買の回転頻度を挙げざるを得ない。

僕がこの短い期間で接したお客様たちは、デイトレーディングのような投機ではなく、比較的安全な投資として、証券を求めている。そのためには、少しずつでも値段が上がる銘柄を長期間持つのがセオリーだ。

しかし、手数料収入を確保するなら、そんなことはお構いなしに、それこそデイトレードのように売り買いをお勧めすることになる。僕はその剣幕に半ば押され、半ば呆れつつ、何も言い返せずにいた。

激した自分を抑えるかのように、藤堂課長は低い声を絞り出し、

「返事は、どうした」と僕を睨みつける。
「わかりました」

新人の僕には、そう頷くしか選択肢は残されていなかった。しかしそれは、お客様の資産よりも会社の売上を優先する藤堂課長、ひいては会社の姿勢に対し、疑問を飲み込んだ結果だった。疑問は、喉に詰まった魚の小骨のように、僕の心に引っかかり続ける。

「俺も、証券会社の営業マンと話したことあるけど、結構親身で、思わず契約してしまうところだったよ。そのときは、別の投資信託が順調だったからお断りしたけど。お客さんより会社の売上、どこもそうなのかな」

僕の話を聞いていたヒガシさんが、誰にというわけでもなく、ぽつりつぶやく。僕は軽くうなずきながら、

「すべての会社、すべての営業マンがそうだとは言いませんが、少なくとも、当時の証券業界全体に、そういう空気が無かったとはいいませんね」
「そうかあ」

ヒガシさんのため息を受け、僕は話を続ける。

その一件以来、僕はできるだけ小骨を飲み込んで仕事をし、迷った時には藤堂課長に相談するようにした。藤堂課長からも目をかけられ、ときおり、サシで飲みにつれて行ってくれたり、プライベートで遊んでくれたりするようにもなった。いつしか、小骨のことを忘れつつあった。

それから15年ほど、僕は法人営業と個人営業を軸に、証券マンとしてのキャリアを築いていった。年収も上がり、派手な遊びも覚えていく。一見順調だが、小さくなったとはいえ、喉に刺さった骨はなかなか取れず、異動先の支店では衝突を繰り返すことがあった。

思えば、新人のころの藤堂課長は、まだマシだった。異動先の上司たちは、それに輪をかけて、会社の売り上げ第一主義に染まっていたのだ。第一線の営業マンたちは、個人の売り上げ評価に汲々とし、少額とはいえ違法な損失補填をしたり、認知症の疑いのある高齢顧客に対し、詐欺まがいの営業をしたりしている例も目にした。

小骨は無くならず、むしろ大きく育っていた。

当時の支店長に営業手法の見直しを提言して大喧嘩となったとき、一本の電話がかかってきた。

「蟹江、俺だ。元気にやってるか」
「藤堂課長、いや、部長、ご無沙汰してます!」
「今日は近くで会議があって、もうじき終わるんだ。この後、空いてるよな?」
「喜んで!」

本社の部長に栄転していた藤堂さんからだった。忙しいにも関わらず、夜、差し向かいで会ってくれることになったのである。支店近くの隠れ家的な個室居酒屋、僕は懐かしさも手伝って、いつもより飲みすぎ、大きくなった小骨のことを洗いざらい藤堂さんに話した。

「おれ、もう、違法行為の片棒担ぐのは嫌なんですよ。おじいちゃんおばあちゃん騙すの、嫌なんですよ」

そうクダを巻く僕の肩を抱き、

「蟹江、わかってる。いくら証券会社とは言え、世の中のルールにしたがわなきゃいかん。うちはそこが甘い。今、俺も頑張ってるところだ。お前も、もうちょい我慢しろ。俺らが偉くなって、この会社を、証券業界を、変えていこうじゃないか」
「藤堂部長」
「やるぞ、蟹江」

藤堂さんは、僕の手を握り締めてくれた。その日は、結局二人で朝まで飲み明かした。藤堂さんにいろんなことをしゃべった。藤堂さんの苦労も聞くことができた。

別れ際、タクシーに乗せようとしたとき、涙が滲んていた藤堂さんの目を、僕は未だに忘れることができない。それを、お酒と年齢と懐かしさで涙腺が緩くなっていたのだろうかと、迂闊にも、当時の僕は考えてしまった。

一週間後、僕に異動の内示が来た。本社人事部付。定期ではない時季外れの異動内示に、僕は一瞬混乱してしまう。

「どういうこと?」

ユミさんが首をかしげる。僕は目を伏せて、

「証券営業の一線から外されました。はっきり言えば、左遷されたということです」
「あら!それって、もしかしたら、その、藤堂さん」

息を飲むユミさんの問いに、僕は黙って頷く。そう、藤堂さんに洗いざらい語った僕の話が社内及び支店長に漏れ、その結果、僕は不満分子として懲罰的な異動を命じられたのである。

小骨が、喉を貫いた。

(第五話へ)

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