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シアワセノビニールガサ~ビバノン温度②

 今は亡き恩人ポールさんのお父さんに教えて貰った川崎の『中島湯』は紆余曲折あったが、結局廃業してしまった。

 朝風呂の愛好者で持病の帯状疱疹にも清潔さは一番良いので、新しい銭湯を探すように依頼を受けた。

 銭湯マニアのイバさんに相談したところ、何軒か候補を挙げて、一緒に同行して頂けることになった。

「折角なので、武蔵小杉に『FEST HIKITA』を開店した疋田君のお店に行ってから『今井湯』に行きませんか」

疋田さんはイバさんが大阪時代からの友人なので、断る理由もなく喜んで同行させて頂くことにした。

大阪でも大人気店を経営していたが、常に挑戦し続ける性格らしく、山梨でフルーツ栽培に続き、フレンチレストランを開店した。

イバさんと一緒だったので、チーズを豊富に使用したパスタ、肉料理、そしてデザートに国産ワインを振舞って下さった。

「開店準備も手伝っていたイバさんの紹介なので、お代を頂く訳にはいきませんよ」

「それでは僕の気持ちが済まないので、イバさんが若い人と来た時まで待って下さい」

「それでは私の気持ちが済まないので」

 イバさんがトイレから戻ったので、事情を説明すると、

「ここは支払わせて頂く代わりに次のお店を疋田さんがご馳走して頂けませんか」

 イバさんが提案すると、

「それじゃ、ご近所に挨拶もしたかったから一緒に行きましょう、昼食も抜きだったので渡りに船だ、久しぶりに銭湯活動も」

「もちろん、その心算です」

 僕とイバさんはお腹一杯だったので、お酒とおつまみ程度しか食べられなかったが、プロの選択は流石だった。

「開店準備で休みなしだったので、酔っ払ってしまったようです」

「銭湯は止めた方がよろしいでしょうか」

「そうはいきません、それが一番の楽しみだったから」

 イバさんが肩を貸していたが、千鳥足で覚束ないので、僕は銭湯を止めてご自宅までご一緒する心算だった。

 雨も本降りになった。

「疋田さん、今日は金曜日なので『今井湯』で大丈夫ですか」

「イバさん、無茶ですよ、こんな調子だと倒れてしまいます」

「料理人の体力を見縊らないで下さい、私が一緒なので大丈夫です」

「でも雨も降っているし」

「疋田さんの傘も用意していますから」

「僕は正直言って、怖いので二人で行って下さい」

「本当に大丈夫だから」

「どう見ても大丈夫じゃありません」

「信じて下さい、三人で行かなきゃ意味がないから」

 これ以上我を通すのは、本意でなかったので、

「分かりました、一緒に行きますがくれぐれも無理をしないで下さい」

「大丈夫、大丈夫」

「本人も大丈夫って言ってますから」

 もうどうにでもなれ…

 コンビニで買った傘を拡げた。

「傘立てもありますが、鍵が面倒なのでここで大丈夫」

 イバさんは鍵を紛失する癖がある…

『今井湯』は川崎フロンターレ一色だったので、僕も嬉しくなって、

「僕の妹も川崎フロンターレを応援しています」

「妹さんは川崎ですか」

 またやってしまった…

 家族の個人情報を喋ってしまって、窘められていた。

「以前は川崎でしたが、現在は都内に」

 正直を言えば、証券会社を辞めてから妹とは疎遠になっていたので、家探しをしていた情報しかない。

 僕の表情を察してくれたのかもしれない…

 流石にプロの眼は騙すことができない。

「まあ、私には関係のないことです、まあ兎に角銭湯を楽しみましょうよ」

 僕は二十年近くテレビを保有していないかったが、『不適切にもほどがある』をスナック『お米屋』で楽しんでいた。

「しまった、今日は祝日だからイバさん宅で観る心算だったのに」

「まあ、FULUで後日観たらいいじゃないですか」

「テレビよりも掛け替えのないご縁を楽しみましょう」

「確かにイバさんの仰る通りです、大変失礼しました」

 銭湯に入るとイバさんは、疋田さんには目もくれることもなく、外国人と話し込んでしまった。

「どちらからいらしたんですか」

「ネパールです」

 疋田さんが湯船で船を漕ぎ出した…

 僕は手早く体を洗って、疋田さんが溺れないように横に座る。

「武蔵小杉にはネパール人は多いですか」

「いえ、余り居ません」

「私の住んでいる新宿にはネパール人が沢山います」

 イバさん疋田さんも僕もお構いなしに会話を楽しんでいる。

 テレビの影響で『サ活』と呼ばれるサウナ愛好家が繁殖しているが、マナーが悪いので僕は正直言って大嫌いだ。

 案の定、体も流さず冷水に飛び込む。

「プハーッ、整った」

「俺も整いました」

 僕にも水飛沫が掛かった…

 皮を被って竿を隠さずを体現するパイパン男子だった。

 僕は水流風呂を全部試したい方だが、独占している五人組は目を瞑ったまま居座って、譲ってくれる気配はない。

 泳いでいる子供がいる…

 周囲を覗うのは止めようと思って、目を瞑った。

「駄目だろ、オジサンに怒られるぞ」

 僕は怒る心算は毛頭ないが、親の言い草は少々腹立たしかった…

 YouメッセージをIメッセージに直すように『日本メンタルヘルス協会』の講座で勉強したことを思い出した。

 まさかのHeメッセージ攻撃を食らってしまった…

 新しい知識を仕入れたと思えば良い。

 疋田さんは僕に全体重を預けているが、イバさんは相変わらずネパール人との会話に夢中で気が付かない。

 疋田さんは幸せそうに寝息を立てている…

 銭湯は目を三角にして怒るのでなく、笑顔になる場所だ。

「少し寝てしまったようですね」

「お疲れのようですね」

「湯当たりしないようにそろそろ出ますよ」「それでは僕も」

「一人で大丈夫ですよ」

「僕も長湯は苦手なんで」

 お風呂を出る時、

「イバさん、二人は着替えて」

「私はもう少しお話してから出ますよ」

 疋田さんが着替えるのを見守って、長椅子で横になるのを確認してから待合室に移動することにした。

 待合室では『不適切にもほどがある』が上映されていた。

 最初の方は見逃してしまったが、主人公の秘密も理解できた。

 ネタバレになるので、ここでは触れない。

「いや~、ネパール人とお話できて楽しかったですよ」

「少し横になっただけで、随分と疲れが取れましたよ」

 二人が満足しているのを見ると僕の気分も晴れやかになった…

 嘘のように雨も止んでいた…

 傘立てを見ると僕の新しいビニール傘がなく、代わりにボロ傘が残されていた。

 レーシック手術を受ける前はメガネだったので、雨が降ると傘を買う習慣がある。

 少し腹が立ったが、雨が止んでいたので、ボロ傘を手に取った。

 武蔵小杉で急行が来た…

 新宿三丁目なので、少し躊躇した。

「私は新丸子なので急行でお帰り下さい」

「折角なので、家までお送りします」

「片付いていないので、勘弁して下さい」

「それでは次の普通で新丸子まで」

「お言葉に甘えさせて頂きます」

 新丸子で疋田さんと別れた。

 最初は腹を立てたボロ傘だったが、それ以降の僕はツイている。

 このボロ傘を必要としている人がいれば、喜んでお譲りする…

 僕は『スーパーマン』や『ウルトラマン』ではないが、黙っていても幸せになる『ラッキーマン』だからだ。

 『ラッキーマン』から周囲を幸せにする『ハッピーマン』に変身したいと思っている。

 いい湯だな イバさんと疋田さんの関係
 
 いい湯だな 天衣無縫の自由人イバさん

※食後、特に飲酒後の入浴はできる限りご遠慮下さい。

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