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カルチェ・ラタンも、渋谷の街も、

    カルチェ・ラタンも、「舗道の下は砂浜だ」も、むろん信じはしなかった。
    そこは眼前に貧乏学生のたむろする駿河台に過ぎず、パリの舗石の下にも海浜などありはしない、と。池袋のガード傍に「ここがロドスだ、ここで跳べ」と落書があったが、何処がロドスだ、ここはブクロだ、などと酔って毒づいたものだ。ロドスではない場だからこそ、と知りつつ。
    寺山修司がいかに出没劇を企もうと、渋谷の薄汚い街路は変わらず、酔狂に書を捨てて街へ出ようと、踊らされた間抜けな顔がショーウィンドウに映るだけだ、と知っていたはずだーー誰もが。
が、大人たちから見れば、我々はたしかに踊ったのだ、ゲバ棒など持たずとも、所謂"青春を謳歌"したのである。
    しかし今、そんな馬鹿げた時代の夢が消えた後も、消え残った街は厳然と、生き残った我々ダンカイを取り巻いている。
    寺山の声が聞こえて来るほどに、我らを圧して。

        マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

    はたしてありや、なしや、と呟きながら、なお、生きざらめやも、と歩を進める、我ら、
    ダンカイよ!

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