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【SS】曲解
僕は花を飼っている。
まだ一歳にも満たないそのシレネは日光が大好きで、よくこっそり鉢を抜け出しては縁側に出ていた。
もう、などと言ったところで聞こえはしない。いくら花でも耳まではないだろう。僕はいつも通り無言で連れて植え直した。
お隣の信号が買い物に行くのが見える。青がチカチカ光っていて、きっと急いでいるんだろうなと思う。
角の生えた街灯にまとわりつく砂をじっと見つめて、僕はふと家の中へと踵を返した。
不思議に曲がった黄色い空。同じ色の太陽が、二日に一度昇って沈む。そしてその度何かが変わる。あれを浴びると何もかにもが少しずつおかしくなって、でももう誰も驚きもしない。そうなってから、気づけばもうかなりの時が経っていた。
僕はいつもの道具を全部持って戻ってきた。
祖母にねだって買ってもらったカンバスとイーゼル、そして数々の絵の具たち。どれもこれも、僕みたいなやつにはまだ十年も早いような上等な代物だった。
もともと僕は絵を描くのが好きだった。
空想の世界を膨らませるのも、現実に見える景色をただ映すように描きこむのも好きだった。
そして今、そのどちらもが目と鼻の先にある。理由は分からないしもうどうでもいい。
駱駝の親子が仲睦まじく行き過ぎる。向こうの橋で喇叭が踊っている。
こんな光景、残さずにはいられない。
明日は何が変わるのか。誰が狂い、あるいは消えているのか。
僕は知っていた。そんなことをのんきに考えるこんな僕ももうまともではないことを。何が正しく間違っているかなんて、すっかり馬鹿げたこんな世界で考えることではない。
学び舎なんて、働きどころなんてもうなかった。そんな場合の世間ではなかった。
のらりくらりとその日暮らしで描き続け、やがて家の中には数え切れないほどの作品がたまった。
要はあの光さえ浴びないようにすればいいのだ。外はあまりに歪んでいるが、カーテンを閉めきったこの部屋はとても素直に全てが存在している。棚は四角いし椅子は動かない。
そろそろかな、と僕は思った。振り向くと、すっかり大きくなったシレネがいた。
あれから何年経ったか分からない。僕はもう疲れてしまった。そう望まれている気がして縁側に出ると、庭にはもうおあつらえ向きの穴が掘られていた。死に方だってもう変わってしまった。天国に持っていきたいもの。一番好きな空色の絵の具と竹の筆。それだけ握って横たわる。
シレネはじっと僕を見下ろしていた。ありがとう、と僕は笑った。シレネはぱたりと上に倒れ、ツルを伸ばして光を塞ぐ墓標になった。
狂ったものはもう狂えない。消えたものはもう残らない。
ようやくまともに眠れそうだった。暖かい土に瞼を撫でられ、僕はそっと目を閉じた。
それから数十年ほどの時が経った頃、焼けて赤黒くなったとある家から数々の絵画が発見された。
無名の芸術家がその没後に絶賛されるというのはよくある話で、それらもまたその時を生きる彼らによって祭り上げられ、一定の評価を受けるに至った。
曰く、これは何の変哲もない日常を描いた、愛すべき素朴な絵画であると。
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