【SS】知らないアリアと白黒の鍵

 その都には、あまりにも大きな教会があった。
 澄んだピアノの音が中から絶えず響きつづけ、離れた場所からみると建物の形はどこかパイプオルガンを模したようにも見える。
 周囲には歌劇場や楽器屋などがひしめき、かごいっぱいに抱えて大通りへと出てきた花売りの娘も、歌うように楽しげな声で季節の花束を宣伝して回っている。おおよそこんな光景が、どの地域でも見られる世界。
 この星は、当たり前のように音楽に支配されていた。
 さて、そのお城ほどに大きな教会だが、どうやら誰もが気軽に立ち入れるものではないらしい。
 なんでもここには星そのものを維持する心臓とも言えるものが隠されていて、それがないと世界は滅びてしまうのだとかなんとか。
 眉唾ものの話だが、こうして異常とも言えるレベルのセキュリティが毎日毎秒休まず稼働しているのを見ると、ひょっとしたらひょっとするのかもしれない。
「うーん、やっぱり入れないかなぁ⋯⋯」
 教会の裏。歩哨たちを遠目に見ながら、茂みに隠れつつ悩ましげに呟いたのは一人の子ども。くしゃくしゃの短い黒髪と、丸い瞳が特徴的といえば特徴的だが、言ってしまえばまぁどこにでもいそうな子どもだった。
 実のところ、神聖な大教会にこうした軽い気持ちで侵入を試みようとするいたずらっ子は、まぁそれなりにいる。クラスメイトもバレてはつまみ出されたり反省文を書かされたりと様々な目にあってるようだが、中にはそのまま行方不明になって、学校に来なくなった子もいると聞く。悪魔に捕まったとか、教会の中で働かされているとか、いろいろ言われているがもちろん真実はわからない。

「なにをしているの」

 背中から声。まさかもう大人に見つかったのかと思わず震え上がったが、聞き間違いでなければ、今のは自分とそう変わらないくらいの、女の子の声だった。
「えっ、いや、ぼくは⋯⋯」
 女の子のいる背後と、教会のある前方を交互に見ながら、まごまごと言葉を漏らす。初対面の人と話すのは苦手であるということはこの一瞬で簡単に察せられただろうが、少なくとも突然現れたその子にとっては、わりとどうでもいいことのようだった。
「なかにはいりたいの?」
 よく見ると、彼女はフリルをたっぷりと使った上等な白いワンピースを着ていて、髪も瞳も西日の光を受けて白銀に輝いていた。白い色は、この都において高貴の証でもある。おそらく自分とは比べ物にならないくらい、いいとこのお嬢さんだ。お父さんも、『白い方』には関わらない方がいいと、事あるごとに言っていた。
「でも、勝手に入ったら怒られるし⋯⋯」
 父の言を思い出したから、というわけでもないが偉い人にチクられたりするのはまずい。ここは上手く誤魔化して、また明日にでも───
「おこられないわ」
 どこまで見透かしているのだろうか。少女はすっと目を細めて、試すように、
「わたしといっしょなら」
 そう言って、わらったのだった。

「ほんとに入れた⋯⋯」
 こんな大きな教会に、裏口があるなんて知らなかった。見張りが近くにいなかったということは、みんなも知らないのだろうか。もしくは、特別な人しか知らないとか⋯⋯
「あなた、女の子でしょ」
 ふと足を止め、振り返り、どこか楽しげに当ててみせる。普段からそれらしい振る舞いをまったくしていないので、初対面で見破られたのはおそらく初めてだ。上手く驚くことすらできず、とりあえず頷く。
「それなら、お友だちになれるわ」
 だから招いたのよ、などとまるで自分の家のように言う。きっとしょっちゅう出入りしているのだろう。迷いのない足取りで、どんどん教会の奥へと進んでいる。しかし世界の中心とも言える建物にそんなお買い物感覚で出入りできるとは、いったいどれほどの名家なのか。なんだか違う意味で怖くなってきた。やっぱり関わらない方がよかっただろうか?
「ねえ、わたしはアリア。あなたのお名前は?」
「⋯⋯グレィ」
「グレィ!素敵ね、わたしもその名前が良かったわ」
 だってほら、わたしも『灰色(グレー)』でしょう?
 アリアは自分の髪をひと房つまんで見せながら、そう言ってくすくすと笑った。夕焼けのせいだろうか、外にいる時はとても静かで儚げな子に見えたのだが、明るい教会に入った途端に人が変わったように明るくなっていた。
「で、でもアリアさんっていう名前も」
「アリアよ。アリアって呼んで」
「ええぇ⋯⋯絶対えらい人なのに⋯⋯」
「えらい人の言うことは聞くものよ」
 ぐうの音も出ない。ここで無駄に逆らって機嫌を損ねでもしたら、無事に帰れない危険性すらある。
 何せここには悪魔が棲んでるのかもしれないし、子どもであっても死ぬまで働かせられるのかもしれないのだ。
「それで、なにを見たいの?」
 そのためにここに来たかったんでしょう?そう言ってようやくアリアは立ち止まった。そうだ、危うく忘れるところだった。自分はそこらのいたずら小僧とは違う。明確に、どうしても、この神聖な空間に入ってみたいと願う理由があったのだ。
「ピアノ」
「⋯⋯ピアノ?」
「そう。ピアノが、見たいの」
 日夜響き続ける、何なら今もどこかの部屋から聴こえている、大教会のピアノの音。その旋律の大元にあたる、恐らくそれなりに大きなピアノ。
 グレィは子どもだ。この都の子どもたちは、よほどの貧乏でない限り何らかの楽器を親や家庭教師から教わって嗜んでいる。
 面倒がる子どもも多いが、最低でも何かひとつくらいは習得しておかないとずいぶんな笑いものなので、グレィもとりあえずピアノだけは父から習っていた。そして子どもながらに、不思議に思っていた。
「誰が弾いてるのか、気になって」
 大教会のそのピアノは、嘘か誠か、一秒たりとも途切れたことがないらしい。グレィが生まれるずっと前から、寝ても覚めても聴こえていて、かと言って録音したものを流しているわけでもない。
 あの音は本物だ。
「お父さんは、何個かのピアノを、何人ものピアニストが交代で弾いてるんだろうって、言ってた、でも、」
 そんなことが、本当に可能なのだろうか。
 寸分違わず、一拍も止まらず、交代を繰り返して同じ曲を同じように永遠に奏でつづける。
 現実的なようで、現実的ではない。
 大人がみんな気にしないことでも、グレィにとってはずっと不思議で仕方なかった。
「そう」
 アリアは短く答えた。可笑しくてたまらない、といったような顔をしていた。
「いいわ、あなたになら」

 『アリア』を弾かせてあげる。

 そんな言葉が、耳に届いた気がした。
「え───」
 グレィは突然のひどい眠気に襲われ、誘われるまま目を閉じる。アリアと名乗った少女は、その身体をやさしく抱きとめ、もろともに教会の廊下から煙のように姿を消した。
 誰も見てはいなかった。

「気がついた?」
 目を覚ますと、グレィは白く冷たい床に寝かされていた。
 寒くはないが、寒々しい。白とピアノしかない。
 部屋なのかと思ったが、ドアも窓も何故か見当たらなかった。
「ここは⋯⋯」
 いや、聞かなくてもわかる。目の前のピアノは、いつもグレィが聴いているあの曲を奏でていた。
 日夜響き続ける、何なら今も街中で聴こえている、大教会のピアノの音。
 あれと同じものが、今まさに、目の前のピアノから奏でられていた。
 誰も触れていないのに。
「世界の中心」
 アリアはわらう。嘯くように。
「このピアノの音が途切れたら、その瞬間に、この星は死ぬ」
 嘘だ、と口をついて出そうになった。だってわけがわからなかった。
 でも、実際に目の前で、勝手に鍵が沈んで音を奏でるピアノを見ていると───
 まるで心臓の鼓動のようだと、たしかに少しだけ思えた。
「どうやって、動いてるの?」
「もちろん、『奏者』の力よ」
「どうして、ピアノなの?」
「『アリア』がそう望んだからよ」
 まるで他人のように言う。
 グレィにとってアリアとは、目の前にいる謎の少女そのものに他ならない。
「そもそもの『アリア』は、世界を保つために女神が作った、この曲の名前なの」
「女神の、曲⋯⋯?」
 意味がわからなかった。
 まあわからないと言い出したら、今の状況も、この部屋のことも、何一つグレィはわかっていないのだが。
「───この星は、一度死にたどり着いた」
 もったいぶった足音を鳴らしながら、アリアはグレィにゆっくりと近づく。
「でもとある女神さまがね、それを哀れんで無理やりにでも繋げ合わせようとしたの」
「でも音楽を愛し、司っていたその女神さまには、創世の真似事なんてとてもじゃないけどできなかった」
「だから、曲そのものに、力を込めたの。奏でることで、星の命をつなぎ止めて、誤魔化し続ける力をね」
「⋯⋯⋯⋯」
 どうやら自分は、思い違いをしていたようだ。
 この星は、人は、生を謳歌するために自ら音楽を奏でているのではない。
 死んだ自分を隠すために、なかったことにするために、みんながそれに固執して───
「人間で言うと、生命維持装置みたいなものよね。本人は寝たきりでも、生きたいなんて望んでいなくても、外部の力で生かされ続ける。けれど、管を外せばそこで終わり。『彼』は生きたかったのか、それが正解だったのか、たしかめることさえできない」
「どう?これがグレィの知りたかったことよ」
 満足した?と首を傾げて問いかける。
 いつの間にか彼女は、自分のすぐ近くまで来ていた。
「あなたは、誰なの⋯⋯?」
 『アリア』は曲の名前だと、彼女は言った。
 でも彼女もまたアリアと名乗っている。曲が意志を持ち、人の姿を取っているということなのだろうか。だとしたら、今もずっと演奏されている『アリア』は⋯⋯
「わたしには、人が必要なのよ」
「楽器には、奏者が付き物でしょう?」
「だから、『借りた』の」
「でも、この子は貴族のくせに身体が弱かったみたいでね。これからもずっとずっと、わたしを奏で続けるためには、もっと強い子が、欲しいな、って、思ってた」
 アリアの体から、徐々に力が抜けていく。
 先ほどまであんなに元気だったのに、目は落ちくぼみ、頬はこけ、言葉を重ねるごとに、魂が抜けるようにだらりと傾く。口だってもう動いていないのに、声だけは何故かはっきり聴こえる。
「ね、だから、」
 ついにアリアが倒れた。捨てられた瞬間に彼女はみるみる乾き、腐ったようなひどい臭いがした。
 彼女もまた、星のように、いつからか生かされていたのだと。そう気づいた頃には。
『わたし』はもう───
 


 また子どもが、一人いなくなった。
 他校の子だが、こっそり家を抜け出して、それから何年も帰って来ていないらしい。
 きっと、あのきな臭い噂のある大教会に、軽い気持ちで入ろうとしてしまったのだろう。私のクラスメイトもバレてはつまみ出されたり反省文を書かされたりと散々な目にあっているが、それはまだいい方で、中にはそのまま行方不明になって、学校に来なくなった子もいたと聞く。悪魔に捕まったとか、教会の中で働かされているとか、いろいろ言われているがもちろん真実はわからない。
 でも今日という今日こそは、私が中に入って、真実を暴いてやる───

「なにをしているの」

 背中から声。まさかもう大人に見つかったのかと思わず震え上がったが、聞き間違いでなければ、今のは自分よりもちょっと幼いくらいの、なんてことない子どもの声だった。
 振り返ると、くしゃくしゃの短い黒髪と、丸い瞳が特徴的な女の子が、そこにいた。
「あ、いや、私は⋯⋯」
あまりにも余裕のない、悪巧みしているのがバレバレの返答になってしまったが、少なくとも突然現れたその子にとっては、わりとどうでもいいことのようだった。
その子はにっこりとわらって、

「ねえ、わたしはアリア」
「あなたの、お名前は?」



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