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2021.12.08

仕事で訪れた家の高齢な男性が家族への愛を熱く語っている最中、全開になっている社会の窓が僕をくぎ付けにした。

伝えるべきかひどく悩んだ。恐らく人生の教訓ともなる会話をしているのだろうけど頭には入ってこない。もうパンツもまるみえだし。

伝えるにしてもタイミングが分からない。話を遮って”こと”を伝えれば窓は締まるだろうがあられもない姿で家族愛を語っていた自分を顧みて彼は話すことをやめてしまうだろうし、話を終え帰る直前に伝えたとしても「あぁあの人はずっと社会の窓開けながらなんか言ってるなと思ってたんだろうな」と孤独に悩ませてしまうだろうし、かと言って伝えずに帰ったとしてもあんなにも全開にしていれば自ずと気付くだろうし、そこで気付けば同じことだし

堂々巡りを繰り返し少し疲れてきた。そういえば少しも前もこんなことがあった。

tofubeatsとVAVA、STUTSのライブを見に行った日。初めてのダンスミュージックのライブにドギマギしていたが、自分に注目できたのはスタート前のほんのひと時だった。

スタートが近づくと僕の前には大学生らしき男の子がハイネケン片手に現れた。黒髪で黒縁の眼鏡、活発な感じは見受けられずすこし繊細そうな見た目の男の子だった。

彼のかなり原色に近い緑色のニットセーターには大きく”L”と書かれたシールが貼ったままにされていた。

どうする、言うべきか。

スタート前に言ってしまえば彼はきっと自分をサイズシールを貼ったままにしていた人と自覚し、ビートに合わせて肩を揺らすなんてできなくなるんではないか。

終演後に言ってしまえば、今日一日楽しかったと物思いにふける時間を吹き飛ばし、「あんなノッてたのに俺はずっとサイズシール貼ったままだったのか。」と一日の後味を台無しにしてしまうんではないか。

ではいっそ言わなければ。それだと僕がライブに集中できない。音楽に没頭してどれだけ体を揺らしてもシールは僕の目の前で音に合わせながら動くだろうし。彼が「フゥー‼」とか声を出せば内心「うわ。シールついてんのに。」とか考えてしまうきっと。

自分を犠牲にすることにした。彼には伝えずライブを堪能させそのまま帰宅してもらった。ベストを尽くした。

これを書くまではそう思ってた本気で。けれど今考えればそんなに気を使うことでもなかったな。むしろ絶対言ってあげた方がよかったな。気付いたときに。

高齢の男性にも気づいたときに言ってあげればよかった。言ったうえでウンウンと話を万全に聞いてあげればよかった。

また考えすぎてしまった。僕は物を買う時も発表の場の言葉も時々考えすぎて身動きが取れなくなる。将来のことに関してもそう。

次からは社会の窓でも鼻毛でも口臭でも気づいて言えるような関係や空気であったなら伝えてあげよう。お互いのためだと思おう。

僕も誰かに熱く語る時は社会の窓ぐらいはチェックしとかないとな。
かっこよくオチを決める前には鼻毛がでてないか見とかないと。

テンポ悪くて誰も笑ってくれなさそうだやめとこう。
おもしろい話は社会の窓が開いてようが鼻毛が出てようがおもしろいし。
むしろそうなってた方がおもしろい時もあるし。

また考えすぎ始めてるかもしれなのでこのへんで。
おやすみなさい。

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