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日記:チョコミントアイスへの目覚め

 長年、チョコミントアイスのことを「歯磨き粉」と言って避けてきた。怒らないでほしい。多くのチョコミント愛好家がこの言葉に傷つけられ憤りを覚えているだろうことは想像できる。申し訳なかったと思っている。
 人は、よく知らないものを危険から逃れようとするかのように避け、よく知っている、安心感のあるものを選択することがある。それは確かに間違いが起きず、約束された幸福を手にすることができる。だが、いつでもそれで良いのだろうか?
 チョコミントアイスを初めて知ったときのことを思い出してみる。幼い頃の私はそのキュートな見た目と、「チョコとミント」という意外な組み合わせに胸をときめかせた。これが食べたいと言うと、親から止められた。きっと美味しく感じないだろうと。親はチョコミントアイスが苦手だった。その時は悔しくて、子どもだからといって食べるアイスまで自分で選べないのは理不尽だと思った。だが今思えば仕方ないことである。もし子どもが食べられなかったら代わりに食べるのは親だし、子どもの繊細な舌にチョコミントアイスは刺激的だと思う。
 その後、誰かに一口だけもらったチョコミントアイスを「歯磨き粉」と判断して苦手意識を持ってしまった。
 大人になると味覚が変わるという。簡単に言うと舌が鈍くなる……ということらしい。だからもしかしたら今の自分ならチョコミントアイスを食べられるかもしれない……そんな気持ちがあった。そんな気持ちがあっても月日は過ぎていった。普通に生活していると、チョコミントアイスを食べる機会はやってこないのだ。ピーマンの克服とは訳が違う。気づいたら食べられるようなっていた、とはならない。現状を自分の意思で変えなければならない。私は駅にあるセブンティーンアイスの自動販売機の前に立ち、チョコミントアイスのボタンを押した。迷いはなかった。 
 家に帰ってから暖かい部屋でアイスの包みを剥がす。ミントをイメージした緑色のアイスに細かいチョコレートが混ぜ込まれている。綺麗だ、と思った。初めてチョコミントアイスを目にした幼い頃のときめきを思い出す。もし今でも苦手だったとしても後悔はないと感じた。
 一口齧ってみる。冷たい。アイスの冷たさだけではなく、ミントの清涼感によってよりひんやりとしていた。そしてチョコレートの甘味。ミントと合わさりスッキリとした甘さになったチョコレート。完全にミントと調和していた。私は棒だけになったセブンティーンアイスを見て心が満たされていた。チョコミントアイスが、好きになっていた。
 これが昨日のことである。念のため今日も食べた方がいいと思った。今度はスーパーでカップのチョコミントアイスを購入してきた。パリパリのチョコレートを砕き、緑色のアイスと共にすくいあげ、食べる。美味しい。チョコミントアイスは今日も美味しかった。間違いなく私はチョコミントアイスを好きになっている。
 好きな食べ物が一つ増えた。それだけで生活は劇的には変わらない。それでもこうして好きなものを少しずつ増やしていけば、少しずつ心が満たされていく。
 今はもう遠くに引っ越した友人に思いを馳せる。あの時歯磨き粉って言ってごめんね。

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