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就職試験と不正解と不採用

小さい頃「将来は何になりたい?」と聞かれた時、「銀行員になりたい」と答えていた。母から銀行員になるよう勧められていたので、母が勧めるまま答えていたが、本心は、『私は将来、昼間に家の中で奥様向け番組を見ながら、煎餅をかじっているだろう』と思っていた。

我が家は貧乏で、大学へ行けるとは思っていなかったため、高校卒業後は何年か働いて、誰かと結婚したらその後は働かず、家にいるだろうと考えていた。一般の子供たちが「将来は何になりたい?」と聞かれて答える夢のような回答は全く浮かばない、現実的な子供だった。

そんな子供時代から何年か経ち、高校3年になった。就職先を見つけ、どこかの会社の就職試験を受けることとなったが、第一志望は相手の会社が取り下げたため、受けられなくなった。
銀行員になるのはとっくにやめていた。ノルマがあるのを知ったからだ。親戚中に預金してくださいと頼むのは嫌だった。

進路指導室へ行くと、いくつかの会社の内容が貼られていたのだが、どこも似たり寄ったりで「この中から決めるしかないのか…」と溜息が出そうだった。でもそもそも、自分の将来像が『煎餅を食べながらテレビを見ている奥様』なのだから、出た溜息にも矛盾が生じていたのである。

そしてある会社の就職試験を受けることを決めた。就職試験の前にその会社へ行き、ちょっとしたプレ面接を受けた。
その会社の人が「いつまで働きたいの?」と私に聞いて来たので、「出来るだけ長く働きたいです」と答えた。そうしたら「そんなに長く働きたいの?」というニュアンスの返事が返って来た。

私は「長く働く」と言ってはいけないのかと思ってしまった。

そして就職試験の日。本番の面接の時にも「いつまで働きたいのですか?」と聞かれた。私は「結婚するまで」と答えた。

数日後、採用結果を知らされた。不採用だった。

その会社にとっての正解は何だったんだろう?と今でも考える。プレ面接と本番面接で違うことを言ったのがいけなかったのか、それともどちらも不正解だったのか。
会社にとっての正解を求めたのが余計なことだったのか。私の意思を押し通せば良かったのか。

しかし実際のところ、結婚するかしないかも分からない状況で、結婚出来なかったらそのまま長く働きたかったし、結婚出来たら退職したかもしれないし、高校生の私が将来の自分がどうなっているかなんて想像が付かなかった。
当時の女性は大体結婚するまで働いて、円満退社し、子供を産んで育てて何年か経って子供が手を離れたらパートで働くかもしれないという世の中だった。東京は違っていたかもしれないが、地方はそんな感じだった。

その後就職試験を受けるのが嫌になってしまい、何もせず放置していた。12月も下旬となり、周りの人達は就職先を決めている中、私は何もせずに過ごしていた。そんな友人に年賀状を書くのも嫌で、新年が明けてから泣きながら年賀状を書いていたら、父から「新年早々泣きながら年賀状を書く奴がいるか!」と怒られた。

そんな1月、仕方なく進路指導室へ行くと、1つの会社の内容が目に入った。なぜ目に入ったかと言うと、他の会社よりも給与が少し高かったからだった。



多分続きを書くと思います。
続き→社会見学と木の引き戸

先ほど商業科の高校のサイトを見たら、日商簿記2級と全商簿記1級を合格していれば大学推薦に有利になると書いてありました。私はどちらも取得していたのですが…当時は知りませんでした。
そもそも全商簿記1級の検定は、私が行っていた高校では1月に行われていたので、推薦に間に合うのかというところです(今はどうなっているのかよく分かりません)。

その頃にはほとんどの人は就職先が決まっていたので、簿記検定は適当にやっていた人が多かったような。
授業では簿記は会計しかなかったので、私は放課後に工業簿記(原価計算)を先生から習っていました。最初は4名習っていましたが、最終的に私1名になっていた記憶があります。

ところで、未だに『煎餅を食べながらテレビを見ている奥様』にはなっていません。断続的に3年位仕事をしていない期間はありましたが、何だかんだと仕事を続けてうん十年…その間に世の中は変わりました。
まだまだ仕事は続けます。

簡単に描いたように見えるビルの街の絵は、Adobe Animateで描きました。思ったよりも面倒でしたが、多分手書きで描くよりは楽なんだと思います。

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