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イキミミ50

相変わらずコロナ感染は増え続けているけれども、こと日本においては世の中はロックダウンする事もなく、ヤケクソ気味に動き始めているように感じる。
ヤケクソというか「どうすればいいのか少しずつ分かってきた」といったところか。
一方で自分の状況はと言えば、未だ耳鳴りから完全に立ち直れてはいなくて、相も変わらず仕事、筋トレ、週末温泉の無限ループの日々である。
sns上で次々に告知される、新譜を携えたバンドのツアーや、貴重な海外バンドの来日。そんなものを目にするたび、果たして自分だけがこの世界から取り残されていくように感じる。
普段くだらない記事ばかりしたためているけれども、不詳ワタクシも密かに忸怩たる思いは抱いているんだ。

そんなわけで、このヘイトな感情を少しでも払拭したい、ここはひとつリベンジ・ムービーを鑑賞してスカッとしよう、と思い至った次第。

「あるいは裏切りという名の犬」

「ドランのキャデラック」


この2本、復讐譚という共通のテーマを扱っているにも関わらず、漂うムードは全く別物の映画であった。

「あるいは裏切りという名の犬」はフランス映画らしく実にしっとりとエモーショナルでハードボイルド。
「ドランのキャデラック」は合理的なアメリカ映画らしくホラーでロジカルで渇いている。

復讐譚というのは、ざっくりいうと前半は敵役が先攻で主人公痛めつけパート、後半は後攻の主人公リベンジパート、といった構造を持っていると思う。
「あるいは」はこの前半の敵役パートがものすごく面白い。ネタバレになるので詳しくは省くけれど、コイツが本当に吐き気のするような最低のクソ野郎で、もう見ているだけで「クソッ、もうやめてくれ!」と叫びたくなるくらいにムカつくヤツなのだ。
さてお待ちかねの後攻、さあここからがカタルシスだ。当節風に言えば、「ここからがオレのターン」というヤツだ。
罠にハメられて7年の服役からやっと出所した主人公が「銃を用意してくれ」と、やおら復讐に赴くあたり、かなりゾクゾクする。しかしコイツがなんとも叙情的な諦観を引きずったままな野郎で、結局直接的には手を下さないのだ。本当にそれでいいのか?お前は!と叱咤激励したくなるくらい。
なんだよ…。
イヤ別にディスりたいわけじゃないんです。元来ハードボイルドは女々しい男の物語であるし、確かにここで突如として主人公が残虐なバーサーカーになってしまったらエモーショナルなこの映画の雰囲気がぶち壊しになる。
このマイケルダグラス似の主人公は終始泣きそうな顔をしていて、それがたまらないんだ。
まあカタのつけ方だけは今の自分の気分と合わなかった、という事ですよ。
一応敵役にはかつての部下の漢気によって、神が天罰を下した形で終わったので良しとする。

「ドランのキャデラック」はこれと全く逆。敵役にそこまでムカつく感じを抱けない。
まず先攻敵役パートで主人公を追い詰める動機が全く違う。
「あるいは」は明らかに主人公に対して憎しみを抱いていたけれども、「ドラン」の方は、個人的な恨みというよりは商売上ジャマになってやむなく、といった感じだ。
またコイツの言うことがいちいち論理的でユニークで、魅力的ですらある。もし住む世界が違ったならばまめまめしい有能なビジネスマンだったんじゃなかろうか。
まあクソ野郎には違いないが…。
しかし「ドラン」の本当の見どころは後攻のリベンジパートにある。これが「クソッ、もうやめてあげて!」と叫びたくなるくらいに、すばらしくねちっこいのだ。
殺された奥さんのゴーストに誘われて、淡々とストイックに準備を進める主人公。

ひとことで言えば、
「ちょっとヤベーヤツが商売上の成り行きでやむなくカタギに手を出したら、実はソイツの方がめちゃくちゃヤベーヤツだった」。

このツイストはおもしろい。
なめんじゃあねーぞ、といったところだ。

ちょっとかわいそうな気もしてしまうが、ざまあみろ、とおおむね溜飲の下がる結末だった。

というわけでこの2本、偶然にも先攻パート、後攻パートがそれぞれすごくよかったので、もし興味があれば是非バーターで鑑賞することをお勧めする。

耳鳴りは確かにクソ野郎だ。容赦のないソイツの攻撃で諦観に支配されてしまった感もあるのだけれども、オレはそれ以上にヤベーヤツなんだよ、これからオレの恐ろしいリベンジの時間が始まるのだ。

結果、そんな気分になりました。リベンジ・ムービーはやっぱりスカッとする。

カタをつけてやる!

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