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イキミミ55

チバユウスケ氏が食道癌と診断されたそうだ。

正直なところ最近の動向は全く追っていなかったのだけれども、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTはリアルタイムで夢中になっていたものだからチバユウスケは若き日のマイヒーローだ。
うーん、そーか…。なんとか無事に生還していただければいいのだけれど。という感じである。

とにかく訃報はもうたくさんなんだ。

半年くらい前にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの1999年USツアーでのライブ音源が突如としてYouTubeにあがっていた。


海外でのTMGEの演奏というのは、確か「world stereo lynch」というDVDのなかでほんのさわりだけしか見たことがなかったから、懐かしさもあり、とてもブチあがったものである。(違うDVDだったかも。いま手元にないのでわからん)

さて、パンクやハードコアを追っていると、こういったいわゆるブートのようなものや、ないしそれをアーカイブ化したものを見たり聞いたりする機会がけっこうある。とにかく正式音源があまりにも少ないものだから。
音質にこだわる向きには、もしかしたらとても聞いていられないゴミ同然に感じるのかもしれない。
しかしそんなノイズまみれのものばかり聞いているうちに、いつしか気にならなくなってくるものなのだ。こう言ってよければもう「そういうもの」という認識である。

…いつもながらいったいワタクシは何が言いたいのか。

えーとつまり耳鳴りにかなり慣れ始めてきた現状の主観的な感覚を、なんとか言語化してわかりやすくお伝えできないものだろうかと、まあ今回はこういった趣旨なのであります。

TRT療法を始めたころ、耳鳴りが気にならなくなる、というのは果たして具体的にどういう状態なのかというのが全く想像できなかった。ネットで調べまくってはみたものの、スッと得心するような記述はついぞ見つけられなかった。
要するに、目指すべきゴールの形というのがいまいちつかめなかったのである。

そして現在、それなりに順応してきた我が身としては、確かにこの感覚を言語化するのがどうにも難しい。

耳鳴りを意識していないその瞬間に、「今まさにうまく耳鳴りを意識しないでいられているぞ!」という風には考えない。そう考えた時点で、すなわちそれは意識してしまっているからである。なんともややこしい話だけれども。
湯船に浸かりながらその1日を思い返して、「そういえば今日は耳鳴りをあまり感じずに過ごしていたな」と、ディレイ気味に後になって気づくという感じである。そんなことを思うときには必然、耳鳴りが聞こえている。
しかし聞こえたところでそれもあまり苦痛には感じていない。耳鳴りを既読無視、といったところだ。
主観的には慣れた、というよりボリュームが小さくなった、という感覚だ。
いやボリュームの大小というよりは、どう感じているか、と言いましょうか。

もちろん未だTCIは常に装着していないと不安なことには変わりないが…。

こんな説明で伝わればいいのだけれど。

耳鳴り初期の悶え苦しむつらさは結局のところ体験者にしか分からぬ。
わかるものか。
分かってたまるか。
しかし同志においてはこれだけは分かってもらいたい。絶対に大丈夫だと。
なんでそう言い切れるかといえば、誰あろう自分自身が今となってはこうしてヘラヘラと日々を過ごしているからだ。

それにしてもhigh timeはいいアルバムだなあ。

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