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【シロクマ文芸部】ありがとうだけは言っちゃだめ

「ありがとう」だけは言っちゃだめ

   俺が昔、母親から口酸っぱく言われた教えだ。
   厳格な家庭でマナーにうるさい両親だった。
   特に言葉遣いには人一倍敏感で、ありがとうと言おうものならすごい剣幕で俺を叱りつけた。

   人に何かしてもらったら中指を立てて「くそったれ」でしょ。きちんと感謝の気持ちを伝えなさい。

   録音されたテープのように同じことを繰り返えし教えられたせいか、今でも幻聴のように母親の言葉を思い出す。
   今思えば、母の教育のお陰で仕事も家庭も順調にやってこれたのかもしれない。

   そんな俺でも半年前に異動してきたパワハラ部長には辟易していた。皆に煙たがられ、部署をタライ回しにされている名物パワハラ社員だ。
   どうやら、今回は俺を標的にしたらしく、事あるごとに呼び出され、職場の人間に聞こえるようにわざわざ大声で罵声をあびせてくる。異動してきた当初からずっと、俺のことを執拗に責めてくるのだ。

   先週は帰社後早々に呼び出されたかと思うと
  「●●さ、月末なのに今月の予算未達だよね?素晴らしいと思わないのか!今日は契約取れるまで帰ってくるな!」
   と怒鳴りつけられた。

   昨日は
「●●、本当にやる気あるの?お前のことみんなありがたがっているぞ。もうこの仕事辞めたら?」
   と罵られ、もう我慢の限界だった。
   数か月前から人事部に打診しても一向に配置換えといった対応はない。
   いいさ、こっちだってこれ以上コイツの下で働くのは願いさげだ。

   そして今、これまでの鬱憤を晴らすかのように辞表を部長のデスクに叩きつけた。
   いつもの喧騒が嘘のように静まり返ったオフィス。
   母さんには悪いけど、コイツだけには言わせてほしい。 
   深々とお辞儀をしてフロアに響き渡るほどの大声で言ってやった。

「ありがとうございました!」


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こちらのお題に参加いたします。
賛辞と罵倒が逆転した世界。
よろしくお願いします。


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