学ぶことの楽しさ

こんにちは。
今日は学習が何故面白いのか、自分語りをしていこうと思います。

私は学習が好きです。
しかし、学校の勉強は特に好きではありません。
ただし、話が上手い先生の講義は好きです。
どういう違いがあるのか、言葉に関して独自解釈で話します。

まず言葉の独自解釈です。
私の場合、学習は自主的なものと考えています。勉強は強制されるものです。(勉強しなさいとは言われても、学習しなさい!とは言われないと思います。ニュアンスですけどね)
要は、自主的に学んで習っていくことは大好きなんですが、やらされる学びは大嫌いということです。
まあやらされることで面白い部分に気付いて自主的に学ぶに切り替わることは多いので、やらされてるから学ばないとまでは言いません。ただニュアンスが違います。
ニュアンスの何が違うのか?

講義に関しては別の話で、要は勉強漫談が上手い人が講義が得意な先生なんじゃないかと思います。
紙に書かれた文章や資料の写真やイラストを使って、面白い漫談が出来る人だとつい話を聞いてしまう、ということだと思います。
それが出来ない、テキストを読むだけの先生の話はつまらないですよね。それだけで面白がれるのは絵本の読み聞かせです。違いはひとつです。

さて、二つの事柄に共通することがあります。
それは、自分の頭の中に言葉で絵が描かれているかどうかだと思います。
先日亡くなった現役最高齢女性芸人の内海桂子さんは弟子のナイツに仰ったそうです。
「言葉で絵を描け」、と。

私はナイツのラジオを聴いてるいる中で、この言葉が心に刻まれました。
人間が面白がれることは全部頭の中に何かしらの作用によって絵が描かれているからだと気付いたからです。
例えば歌を聞いて頭の中に浮かぶ歌詞と音楽の世界、例えば小説を読んで頭の中に浮かぶ登場人物や情景、例えば漫画を読んで頭の中で勝手に動き出す登場人物の生活風景や出会わないはずのキャラクター同士の出会い、例えばトークを聞いて頭の中に浮かぶ…まあ、だいたいみんな同じことです。
要するに、人間は想像力が働くと面白いんですよね。
楽しい想像、悲しい想像、和む想像、はらわたの煮えくり変える想像、それ以外も含め、全ての想像は人間から退屈を奪い去ります。

話を戻します。
つまり私の独自解釈的ニュアンスに基づく学習の面白さ、大好きなところというのは想像力を伴っているということです。
無理に学ばせようとする勉強にはそれがないと思っています。人間は次はどうなるのかという想像力と好奇心に勝てません。
無理に学ばせるというのは、想像力と好奇心が刺激されていないのです。
その点が非常に大事だと思います。
講義も全く同じ話です。想像力を引き出せない話はつまらないのです。逆に言うと想像力の幅がある絵本の読み聞かせは一見意味不明な本の場合も面白くできるのです。

私はアニメや漫画、それにゲームが好きでした。
まさに想像力と好奇心の産物だからです。
しかし、ある時から退屈になってしまいました。
簡単な話です。それらの作品群は基本的に若い世代に向けられているためです。
要するに、ある程度おじさんになってくると、想像力を超えなくなってしまうのです。
これがとても悲しい出来事でした。先が読めてしまうのに展開は遅く、刺激が薄い。
そうなってしまうと、いつしか離れてしまいました。
その点で言えば、今お笑いを中心とした生きた人間に興味が向いたのは当然です。
人間は想像通りに動かないから、想像を簡単に超えてくるからです。
そのハプニング性が楽しくて仕方ない。
だから私はいつまで経っても落とし穴で無限に笑えます。

さて、今は何を学習しているのかの話ですが、これは現在はApex Legendsだと思います。
しかし、私は基本的にソロプレイつまり野良でしか遊んでいないため、チームプレイの部分での学習が出来ません。それ故に伸び代が残り少なくなってきたのを感じます。
一人でデスボックスの山を築くことだけが目標です。ただしこれは連携の取れた相手には非常に難しい。
運が絡むため、それほどモチベーションが上がらなくなってきました。
そろそろ学び終わりだなと思います。
(人間関係に強いトラウマがあるため、パーティを募集することはありません)

そろそろ本業の漫画を学び直す良い機会だと思います。
手探りで同人活動をしていた頃と違い、今は年の功でそれなりに表現したいことがハッキリしています。
表現したいことに向けての学習は、自在に表現出来るようになった自分を想像することで楽しく出来ます。これも想像力です。
上手くなった自分がどういう結果をもたらすのか、お金は稼げるのか、これは好奇心です。

一日一時間程度しか時間は取れませんが、着々と学んでいこうと思います。

書いた人:ホシノよだか

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