反出生主義との出合い

「自分はたぶん、子供は産まないだろうな」

中学生の頃、漠然と考えていた。悪阻も出産も痛そうだし、人(特に小さい子供)と碌に関われない自分に子育てなんて無理だろうし、そもそも、一生を共にするパートナーなど、自分にはできないだろうと考えていたからだ。だが、一番の理由は、自分も子供を苦しめてしまいそうだから、であった。

私はいわゆる、機能不全家族のもとで育った。そのことについてはいずれ書こうと思っているが、簡単に述べると、小さい頃、母と別居させられ、彼女からの愛情を受けることなく、虐待されていたのである。この経験が、今でも人生に影響をもたらしている。それも、悪い面で。人間を信用できなくなり、精神的に脆くなった。このことには学校でのいじめも関係しているが、これもいつか別の機会に述べるとする。

自殺も考えたが、当時はそれよりも毎日生きることに必死だった。なぜ生まれてきたのか、なぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか、と何度も思った。それでも、きっと自分が生まれてきたのには何か意味がある、そう自分に言い聞かせ何とか生き抜いた。

中学3年生の頃だったか、学校からの帰り道、ふと「私は、自分と同じような辛い目に遭っている子供を助けるために生まれてきたのかもしれない」と思った。そう信じて疑わなかった。でなければ、あれほどまで自分が苦しめられてきたのは何だったのだろう、と虚しくなってしまいそうだったから。

紆余曲折あり、受験生になったというのにスマホをいじってばかりいた私は、色々なホームページを見て回った。その中で知ったことはいくつもある。

人間は泣きながら生まれてくるということ。

生まれたくて生まれてきた人は、この世界に一人としていないということ。

必ず死ぬことがわかっている以上、人生に意味はないということ。

生まれてこなければ、辛い思いをしなくて済んだということ。

子供を産むことによって、その子に人生のあらゆる苦しみを味わわせることになるということ。

つまり、自分がこんなに苦しんできたのも、避けることのできない死が待ち受けているのも、そして意味のない人生を送らなければならないのも、全部親が私を産んだせいなのだ。

中学生の頃の漠然とした気持ちは、確固たるものに変わった。

「自分は絶対に子供を産まない」

子供を産むことほど、残酷な仕打ちはない。幸せな人生が保証されているわけでもないのに、どうして子供を産もうと考えるのだろう(あるいは、何も考えてすらいないのかもしれない)。芸能人が出産したとか、同級生が「素敵なお母さんになりたい」と言っているのを聞くと、やるせない気持ちになる。

いじめや虐待をなくすにはどうすれば良いのだろうとだろうと考えていたが、簡単な話だったのだ。そもそも、子供を産まなければ、そんな悲劇も起こらずに済むのである。

確かに、「子供を産まなかったらこの世界はどうなるんだ」という罵声を浴びせられるかもしれない。でも、どうかなってしまっても別に良いのではないだろうか。

私は、この世界が滅んでしまっても構わない。この世界に生きるに値する人なんていないと思うし、この世界も私たちが生きるに値しないと思う。

どうせいつかは人類が死に絶えるだろう。地球そのものが滅亡するだろう。仮に人類がどこか別の星に逃げられたとしても、銀河系がどうにかなって、とても人間が生きられる環境ではなくなるだろう。

そんな世界に、おそらく現状よりもますます悪くなっていくこの世界に、子供を産み落とすということは、とても恐ろしいことなのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?