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不機嫌がなぜいけないか。「ピカソは本当に偉いのか?」に書いてあった

ピカソは本当に偉いのか?」(西岡文彦)を上司に勧められて読みました。ピカソのヘンな絵が高く評価されるに至った時代背景、本人の特質など、素人の私にも面白く読めました。

本書の前半に、ピカソの人心掌握術がただごとではなく、画商も恋人もコロリと言いなりになってしまう様子が紹介されています。そこで著者の西岡さんは、不機嫌はなぜいけないのか、明快な洞察を示しています。

不機嫌はよくない。職場や家庭など、長く時間を共に過ごす場では、特に。そう思う人ばかりではないことは、経験を通じて分かっているつもりです。でも、親しいひとに「不機嫌はよくない」と伝えてみると「何で?自分の自由でしょ!」とさらに不機嫌になられたりして、うまく説明できずもどかしいやら、自分が理不尽なんだろうかと弱気になるやらで、ずっと気になっておりました。

ある時読んだ川崎貴子さんの「独身女性におくる「結婚向きのいい男」5つの特徴」というブログ記事で、「不機嫌はよくない」ことが明言されていました。「そうそう!そう思うのは私だけじゃなかった」と少々救われたような思いをしたものです。

例えば、帰宅したら夫の機嫌が悪い(しかも原因は妻では無い)、そんな毎日、相当しんどいですよ。(中略)「結婚生活とは修行である。」と既婚男性はよくおっしゃってますが、そりゃあそうです。大人なんだから自分の機嫌ぐらいコントロールしろ!子供だと言い張るなら結婚するな!ってお話です。子供が出来たら「お父さんが不機嫌」は更に困ります。「その家の空気を作るのは、その家の構成員である」という事が解っていない人と結婚すると、その生活は直ちに暗雲立ち込めます。

ピカソは本当に偉いのか?」で著者の西岡さんは、ピカソを題材にして、「不機嫌」が周りを支配し、周りのひとの「自尊心」を傷つけるメカニズムを明確に説明しています。「不機嫌」に直面して自分がヘナヘナになっていく理由が整理されたようで、本題のピカソとは関係なく、読んでよかったと思いました。長くなりますが、引用します。(p.81-82)

不思議なことに、多くの人は、感情をあらわにする人物と対面すると、そのあらわな感情の従者と化してしまう傾向があります。人間には底抜けに善良なところがあるらしく、目の前の人の感情に責任を取らずにはいられない心理が働くからです。
おかげで、通常の人なら隠すような不機嫌をあらわにした人物に対面した場合、多くの人の言動は反射的にその人の機嫌をとる傾向が強くなってしまいます。そして、そうした言動が功を奏して相手の機嫌が良くなると、不思議な充足感と達成感を味わうことになってしまうのです。
基本的に、人は自分の感情というものを抑制しながら日々生きていますから、その反動もあって、自身の欲望に率直な人の言動には、無意識に支配されてしまう傾向があります。不機嫌なひとほど、容易に周囲の人々を支配してしまうのはそのためです。
しかし、もともと人の不機嫌や機嫌は、本人の都合で決まっているわけですから、(略)機嫌をとることが功を奏する場合もあれば、その逆の場合もあるわけです。おかげで、機嫌をとる側の人間は、自分お相手への働きかけと相手の機嫌との因果関係がまったく分からない立場におかれてしまいます。
こうして、機嫌をとる側は不機嫌な側に翻弄されることになり、相手の上機嫌という本来的には自分が責任の取りようのないものを確保するために、無限の努力を重ね続ける従者のような身分へと、自分をおとしめることになります。
(略)いうまでもなく、人前で不機嫌な顔を見せることを躊躇しない人というものは、それを隠す人よりは人間としての成熟に欠けています。が、人間関係は不思議な物で、往々にしてこうした未成熟な人格が、成熟した人々を支配下に置いてしまいます。

私は、未成熟な人格に自分が支配されるのは嫌いだし、周りが支配されているのを見るのも、本当にいやです。自由と尊重を奪うから。

(Photo by Kristen Harvey)

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