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それを見て、「カッコいい」と思えるかどうか。
ちょっと回りくどくはあるけど、記録しときたい。
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カッコよくあろうとすることと、
カッコいいものを所有すること、
カッコいい(と世間的に意味付けられている)ことを実行すること。
ここが直結しているか、直結していないかは、人による。
そして、「カッコよさ」との間合いの取り方にもまたひとりひとりの「カッコよさ」が表れるのではないかな。
(いつもみたいにできないことももちろんあるから、諸々早まってはいけない)
自分の思う「カッコよさ」だけじゃなく、〇〇さんは、こういうことを「カッコいい」と思ってるんだ!をキャッチできると、〇〇さんの発言や動きに理解が湧いてくる(ときもある)。
「あ、この人こういうの好きなのか!」も、そう。それを知ることで、一気にその人への興味関心が高まったり、こちらの持つ印象に親しみが加わったりする(ドン引きすることもある。まったくもってわたしの勝手だ!)。
それが素直で純粋であればあるほど。
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いつからか、こちらが追いきれないスピードで「カッコいい」ものが身の回りに溢れはじめて、「あーーもう、はい、カッコいいーーー」で済ませるようになってしまってない?? 心のシャッター、半目になってない??
元々は自分なりの「カッコよさ」にもう少し真剣だった気がするのだが、、、
映画の銀幕に、図書館でめくる図録・写真集に、はたまた街中で見かけるハッとさせる通りすがりの人物に、、、
ランダムに出会うときめきを集めて生きていたし、身近な女友達や片想いの相手の持つ、わたしにはないものに恋い焦がれ、お茶や陶芸の先生たち、年上のご夫婦の暮らしの楽しみ方に安心と憧れを抱いたり、少しでも近づけるようにあれこれ試したり、便乗したりとそれはそれで楽しんでいた。
集めるの、やめてしまった???
いつから???
これは自分と膝を詰めて話し合いが必要かも。
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いきなりそんなことに気付いたのは数日前。
出入りしている専門店で、とある道具の選び方について、何人かで話していたときのこと。
![](https://assets.st-note.com/img/1690120428237-FqOTXiQCJb.jpg?width=800)
この日の朝ごはんは鮭茶漬け。
「こういうシーンでは◯◯型が便利だよね」
「ひとりなら△△、2~4人なら◇◇かな」
「✕✕はほかのパーツを収納しやすいのがいい」
「**は防風性が高くて出力も安定していますからねぇ」
「収納なら@@を使えばできなくもないって知ってました?」
などなど、機能の差や使うシーンを想定した意見が飛び交い、自分も経験上、話せそうなことを並べていたのだが、
Aさんが放った、
「でも結局… X社の◇◇型が“カッコいい”ですよね。(とくにモノ志向の人には◇◇が勧めやすい)」
という一言が、土俵をひっくり返したところでなんとなく意見交換の沸点は下がり、話題はほかへと流れた。
その場はともかく、Aさんの発言を受けて、個人的にはえもいわれぬ納得感に包まれていた。
機能はだいじ、用途、目的もだいじ。
なのだけど、モノとしての魅力、一目見たときの「フム…イケてる…」という静かなる感動とインスピレーション。
さんざん条件に振り回され、迷いに迷うのもこの世の乙のうち。でもあるけれど、なににカッコよさを感じているのか?には素直でありたい、素直がイチバン!なのではないかと思えた一幕だった。
(…とはいえ、Aさんが“カッコいい”と評した◇◇型を、わたしは取り立ててカッコいいとは思っていない。伝染もしていない。ただ、◇◇型を“カッコいい”とする、ある一定層がいることを知れて、「へえ!」と面白く思ったのと、自分の支持するものを、まっすぐに評価するAさんのてらいのなさに、「それはどこかで覚えがある」と、ヘルツを拾って共振したのだ)
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ちょうど、今日から金星逆行。
“わたしの、わたしによる”、あるいは“おれがおれであるがゆえの”、「カッコよさ」について、迷うよりもずっと前の感覚を思い出したい。
今回の金星逆行は獅子座にて(9月4日に順行に戻ります)。
ピッタリのテーマだな。
星の一葉 ⁂ ホシノヒトハ
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