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ほんとにほしいもの|萩尾望都『ポーの一族展』に寄せて


2021年4月17日~6月13日、久留米市美術館で開催されていた
『萩尾望都 ポーの一族展』鑑賞と、氣づきの記録。

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|はじめに… 敷居は、だれかが下げてくれることもある|

画業50周年の萩尾望都さんの展示と聞いて、「!」と反応しても、すぐに飛びつけなかったのはなんだったんだろう。

少女漫画界の大御所であり、『ポーの一族』はじめ『トーマの心臓』などなど、数ある代表作はいずれとも大ヒットロングラン作品で、今も新作を発表され続けている萩尾望都さん…といった周辺のことは本好きの端くれとして見聞しているけれど、短編集『11人いる!』『イグアナの娘』をかじったていどの中途半端な読者層を漂う自分には、コアなファンのお姉さま方がシビれている境地がわからないまま今日に至り、その何たるかを受けとめる感受性に自信がなかった、というのがいちばん実態に近いかと(なんじゃそりゃ)。

わたしを大きく上回る本好き且つ業界通の先輩方からも、当然今回の展示のお知らせが届く。それでも尚、正直、その敷居をまたぐには今ひとつ弾みがつかず、ボーーーと様子見ポジションについていた。

…のだが、モー様フリークの先輩にチケットを譲っていただいたうえに同行させてもらえることにもなって、いよいよ、というかようやくフライヤーに描かれているエドガーとアランの、あのまっすぐな目に焦点が定まったのだった。


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本展フライヤーより。


|いざ、鑑賞へ|

本展の旗印であり、宝塚作品としても上演された『ポーの一族』から鑑賞スタート。

実作品は読んだことなかったので、今回展示の原画が初見。絵の鑑賞、というよりも、一枚一枚熟読しながら牛歩で会場内を練り歩いた。

作品そのものはもちろん、そこに向かうヒトビトの氣持ちの動きが知りたくて、ふだんこういう意図はしないのだけど、

「モー様作品には何が描かれようとしているのか? 何によって、ファンのみなさんは揺さぶられ続けているのだろう?」

という視点でもって、順番に観ていくことにした。

すると、そこかしこにいくつもの「ヒトを捉えてやまないモノ」が視えてくるのだ(そういうもののオンパレードすぎると予感して、早々に学芸員さんからペグシルをお借りし、メモ取り体勢に入った)。

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久留米市美術館のバラ園、盛りをちょい過ぎていた。


|どんな本質が描かれているんだろう?|

萩尾望都さんの作品には、どういう“欲しいもの”が詰まっているのだろう?

ほかのファンのヒトがどのように引き込まれているのか、は、結局そのヒトにお聞きしないとわからないよなぁ、という当たり前のことに行き当たったので、“こういうものが欲しい”が投影されていると個人的に思われた、セリフやモノローグ、そこから浮かび上がったエッセンスをメモに取った。
以下、羅列すると…
(“”と「」は劇中のモノローグやセリフをそのまま抜粋したもの)

~『ポーの一族』コーナー~
◯気高さ、純潔さ、絆というもの、美しいもの・こと、信じるということ
◯仲間
◯唯一無二のものとは何か?と問うこと
◯言いたいことをハッキリと、言いたい相手に向かって言う
⇒それには際立った善し悪し、喜怒哀楽の自覚(ときに無自覚かもしれない)と、自分が思ったことへの信頼が不可欠だと想う。
エドガーたち、登場人物を観てると、ほんとにそう感じる。
◯ここではないどこか
◯“ぼくらの一族”
◯“彼のいつもむこう半分の心を占めているもの”
◯「ぼくのことだけ考えてくれなきゃいやだ!」by アラン
⇒そんなん、ハッキリとよー言えるなぁ、、、と呆気にとられたけど、なんの、ほんとはいつだってそう想ってる(想ってきた)自分に氣付いたり。
◯何か圧倒的なものに魅了されたい、惹きつけられたいという欲求
◯夢、遠い日々、遠い愛
◯“エナジィ(血)”
◯失いたくない思い出
◯“世にもまれなる美女がそばにいて あなたを熱愛してるのよ”
⇒そう思えるのもスゴイが、そんな状況だってスゴイ。
◯“直系の血”
◯“昔がたりと未知への畏怖が ぼくらの言葉、ぼくらの歌”
◯“古い血が新しくなる”
◯愛すること、もどりたい、美しい思い出
◯異質な生命体との遭遇
◯借りを返したい
◯危険とわかっていても惹かれる
◯“悲しませて…!!” これも by アラン
⇒なんというお願いなの。。。こうまで想える相手に出会ってしまうことは幸なんだか不幸なんだか。
◯「好きなら好きなほど、愛してれば愛してるほど、君は後悔するんだ、幸福にしてやれないもどかしさに!」
⇒゚。・゚・(ノД`)・゚・。。。
◯“はるかな”
◯“帰ろう 帰ろう 遠い過去へ… もう明日へは行かない”
⇒ときにはそんなノスタルジーも。
◯「ぼくは無垢(イノセント)なものがほしい」

~ここからは『トーマの心臓』~
◯“それぞれの思いは胸の奥に秘められる まだ透きとおった少年の日に”
◯“昔、あのころ 世界はもっと明るかった きみは人を愛し、ことがらを愛し、理想とするところに向かっていた”
◯“ぼくはいつも たいせつなものになりたかった”

~『この娘(こ)うります!』~
◯“わたしのあなたにめぐりあう”
◯“だれがこの世でわたしのたった一人のひとかしら”

~『スターレッド』~
◯“生まれてきた意味などわからないさ なんらかの答えを用意することはできる でも本当の意味などだれも知らない”⇒これは、星読みにも通じる。


…今回メモに取れたのはこのあたり。


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同じくバラ園にて。


|ほんとにほしいものって|

原画を順に追いつつ、わたし(たち)が渇望するもののうち、カタチがなくて、視えたり触れたりできないけれども、たしかにいつでもそれを追い求めている、というものの数々が発見できた。

同時に、ほしいもの、望むものはそれだけで受け取れることはなくて、決して望んではいないものたちとも、まるごとセットになって与えられるんだ…ということが伝わってきて、なんともおごそかな氣持ちになった。痛みと癒やしはセットらしい、とわかったときのように。

それと、萩尾望都さんが描く登場人物たちの、とりわけエドガーやユーリたちのまなざし。あんなに真剣で、なにか訴えかけるようなまなざしを、だれかや何かとの間で向けたり向けられたりする状況、そしてそこに立つには、何らかの覚悟が備わったときなのではないか(自然にでも、やむを得ずでも)。

その覚悟を引き受ける強さや、あの目ヂカラを支える何かを持てる、というのは生きてるうちの、ひとつの希望かもしれない。

いつだって中庸を志向しながらも、時と場合によっては、どちらかにうんと振り切ったチカラを現せる存在であれたら…と憧れる。こういう氣持ち、すごく久しぶりで、十代二十代くらいまでは、けっこう身近に感じていたような氣がする(1回めのサターンリターンが境界か)。よくもわるくもルールを変えてきてるが、必要以上に鈍くなってはいないか、自分。


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バラ咲く季節にぴったりな企画展でした


|展示、まとめ|

~本展示に寄せて、萩尾望都さんのことば(出口付近のパネルより)~

◯「…また作品には、勢いも含めて『描く時、タイミング』とでも言うものがある。」
◯「『あなたにはスランプなどないでしょう?』と時々同業者に言われるが、いいえ、だいたい4年に一度、スランプが訪れる。ただそれは仕事を続けている以上、仕方がないことなのだ。スランプの時も、調子のいい時も、迷いの時も、仕事をしてきた。」

最後にこういう言葉にも出会えて、萩尾望都さんというヒトに、何歩か近付けたように想う。けれど、近付けども近付けども、あちらの歩むスピードにはとても追いつけない、とわかりきったあきらめと降参も味わった、5月14日。望都さんのバースデーの翌々日のことだった。

それはそれは膨大な原画の中から、今回久留米市美術館のスタッフの方たちがピックアップされた一枚一枚との出会いで引き出された氣づきでもあり、その縁起にも感激している。

ミュージアムショップでは、ポストカードなどのグッズとともに、短編集『メッセージ』をチョイス。

対象に想いを寄せていくうちに、がんじがらめになったり、さらなる欲求やあたらしい自分・見たくなかった自分を知ることもある。
萩尾望都さんの作品を読んでいると、その恐さすらも肯定してくれているような氣もする。それを含んで超えてでも、ほしいものがあるでしょう?と。


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ブリヂストン創業者、石橋正二郎氏の言葉。
『世の人々の楽しみと幸福の為に』。




星の一葉 ⁂ 光代

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