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 無意識の燈火を追って

 みなさんは、火を見るのは好きですか?火を見るとき、どんな気持ちで見ているでしょうか?
 私は、火は怖いから近寄らないようにしようと思う反面、火をぼーっと眺めるのが好きです。初詣なんかにいくと、焚いている火をぼーっと眺めてしまうし、ライターの火なんかでもずっと眺めていたくなります。火を眺めている間は、他のものが視覚に映らなくなって、ただ揺らめく火だけに集中している感じがします。この感覚がなんとも心地いい。
 これって脳科学にはα波が出ているとかなんとかで、火を見ていると集中力を高める効果が実際にあるらしいですね。
 そんなことを覚えていたからか、自分の視点がぶれていると、あの火のことを思い出します。

 私は自分の好きな所も嫌いな所もたくさん挙げることが出来るいわゆる「自分大好き人間」だという自覚があるのですが、その嫌いな所の一つに、「すぐに人と比較しちゃう」というのがあります。
 推し活をしていても、優れたクリエイターさんの紹介なんかを目にするとすぐに自分と比べて嫉妬しちゃう。せいぜい素人の趣味で何点か創作した程度の自分と、サークルやプロとしてバリバリ活動している人達を比較するのも烏滸がましいと頭ではわかっているのに、すぐに比較してしまって「自分も本気を出せたらもっと実力を発揮できるのに」なんて悔しくなってしまう。

そんな気持ちが湧いたときに、あの火の揺らめきを思い出したんです。

その火の揺らめきは燈火となって、どこまでも続いている。先のわからないおどろおどろしい世界を「篝火」を頼りにどんどん進んでいくあのアクションゲームみたいに、この燈火を頼りに進んでいけば、暗がりの中でも自分を見失わないで、目的地へとたどり着けるのかもしれない。

そうやって燈火の揺らめく火だけを見つめながら進んでいくと、自分が比較していた人たちの姿が見えないことに気づく。
燈火が映す自分の光から目を逸らしていたから、外の世界が歪んで見えていたのかもしれない。そんなことを考えていたのかいなかったのか、いつの間にか私は私自身の道を歩んでいく。「無意識の燈火」に導かれながら。

そう、人と比較しそうになった時に「無意識の燈火」と唱えるだけで、私は自分の道を思い出すのかもしれません。



※この記事は、大嶋信頼先生の著書やブログを参考に催眠スクリプト風に作っていますが、何らかの効果を保証するものではありません。ご了承ください。


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