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思考と感覚

ウィルスサイドの新戦略、お見事と言いたくなる現状。(コロナを肯定しているわけではないが)

ネットやテレビの情報に一喜一憂する人たちに触れると、少しモヤっとする。


以前、友人からキングコングの西野亮廣さんをおすすめされた。予想外の存在だった。しかし、知れば知る程に想像を超えるツワモノだった。とにかく、時代を捉える能力が半端なく凄い。そして、行動力と言語力で人々を“善の軌道”に乗せてくれるのだ。何故これまでアンテナを伸ばせなかったのかと自分を責めたくなる程、魅力的で価値ある内容を発信してくれる。西野さんの書物“新・魔法のコンパス”を一瞬で読み終え、現在“新世界”に突入。読み手の心を掴みまくる構成、そして生産性しかない内容、只々すげーーー。

挑戦しよう。


私は、“思考”というワードに敏感。理想であり、時に憎たらしくもある。SNSの普及により、人々が益々感覚的(=マイペース)になってきているのは言うまでもないが、それ故に思考(=ユアペース)することがより求められる時代。それこそ、落ち込む時やムカつく時、やる気が起きずに状態が悪い時というのは全て感覚的になっている。しかし、私はどうもコントロールするのが難しい。感覚的になっていると友人から言われると、非常に腹立たしくなる(笑)当たっているからだ。がしかし、思考するクセを付けたいとも思っている。

これらの感覚的な要素は、コロナウィルスがもたらした世の中の状態ともリンクすると思った。冒頭でも述べたが、情報に一喜一憂し、自己中心的な行動をとる人や、過剰反応する人たち、身を守るという意味では否定することではないが、もっと柔軟になってほしいと思った。目先の事だけでなく、他者への思いやりや助け合いも必要なのではと。やっぱり、思考しよう、ということに繋がる。

思考と行動。

思考と努力。

思考と挑戦。

脳がニートになっている時こそ、何か一つでも行動を起こしたいと思う。

毎日を丁寧に生きたいと思う。


よし、歩こう。


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